超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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最近の民主主義の危機について色々と考える。

最近の民主主義の危機について色々と考える。


今日は午前中は選挙に行ってきた。沖縄県議選があるので、とりあえず自分が選んだ候補に投票したのである。


うちのブログでは政治的なことはあんまり書かない。意識的にやってることだけど、ウチのブログは雑談ベースのところがあるし、政治宗教野球ジェンダーについては積極的に話題に触れないようにやっている。


人によっちゃこれは日和見だと言う人もいるかもしれないが、ブログ炎上でもしたらたまったものでもないのである。過去の僕は度々それ系のユーザに粘着されたことがあるので、そのことに知識も覚悟もないのに危ない橋を渡らないように気をつけている。そもそもそれ系の攻撃的なユーザというのは、自分の結論ありきで攻撃してくるので対話不能である。


政治的な主張なんかをするときは、僕の場合だと相手にとって「理」や「利益」があるのかで提案する形でやるかと思う。ここ最近の、コロナ禍以降に増えたイデオロギー中心の一方的な主張をするタイプに関しては、見るのもうんざりなのでそういう場には近寄らないようにしてる。


僕の行動理由としては、その行動にちゃんとした理想や理念があるのは当然ではあるが、なおかつ提案してることが実現可能かどうかも考慮に入れる。持っている理想をちゃんと現実的に実行可能にするために、適切な対話や議論を行い、それをちゃんと立法できるような政治家に投票しようとする。


性格的に僕は、ゴリ押しで駄々をこねて自分の主義主張を通そうとするタイプが嫌い。僕自身の生活の中でもそういうワガママな人に散々苦労させられてきたので、ちゃんと相手のことをリスペクトして対話できるタイプなのか? というのがコミュニケーションで相手を見るポイントである。無理筋の相手に自分の考えを通させるネゴシエーションが得意という人もいるけど、僕の性格は、相手が自分の意思で自分の提案を飲まないのであれば、そもそも無関心を貫くというタイプである。


僕は性格があくまでエンジニアであり、ビジネスや政治家向きの性格ではないんだと思う。興味の方向が内向きであり、自分の内面で何を考えているかとか、世の中や人間の行動を動かしてる構造や理屈がどんなシステムなのか知ることに興味がある。自分が知り得たそれらの知識を利用して、何かビジネスを起こして成功しようという意識も薄い。


政治的なことに関しては、世の中で起きてるニュースなどを定点観測して、そこから何が起こるかの兆候を予測して、そこから世のため人のためになるような方向性で、自分のリソースを再配置するという感じである。その投資するリソースに関しては、僕が提示できるのは自分自身の労働力であったりとか、わずかに持っている自分の資産であるとかそんな感じだ。


世の中にたいして貢献するような理念もないのかと問われそうであるが、僕は行動を起こす前にそのことにたいして熟考するタイプなのである。自分の理念を先行させて、実現不能なことに突撃するドンキホーテのようなことはやらない。目の前で提示されてるさまざまな社会問題の中で、どの問題を解決することが社会のために有意義であり、その問題解決に対して妥当な解決策を提示してる政治家を支持して投票するのである。


民主主義というのはなんだろうなー、というのは最近よく考える。今日の午前中にこのような記事を見かけた。


note.com


最近起きてる社会の分断による民主主義の危機は、インターネットの情報の伝わりやすさで生じてるのではないかという分析だ。簡単にいうと、科学的であるとかちゃんとファクトチェックをされて正しい情報よりも、間違っていても過激で自分が信じたい情報の方がインターネットの中を早く駆け巡る。それらのアテンション・エコノミーな現状の世界が、陰謀論や過激な言説ばかりが優先されるポスト真実の世界を構成してるとの話である。


例えば、トランプ元大統領とかの発言を見て貰えばわかるかと思うが、実現可能かどうかとかはともかく過激なことばかりを言い、自分の都合の悪い情報は全部「フェイクニュース」で押し通す。今のSNSが流行してる現代社会では、言ってることが真実であるどうかよりも、自分の立ってるポジションにとって耳障りの良い言葉かどうかで真実かどうか決まるのである。


その間違った情報をファクトチェックで訂正するよりも早く、次の過激な言説によるデマが広がる方が早い。その結果、世の中全体の真実とされてることは、自分にとって都合の良い「ポスト真実」が優先されるという感じになってるのである。


これって、今の世の中だと右翼だろうが左翼だろうが関係なく、とにかく強い言葉で耳目を集めた方が勝ちとなってる。現状の世の中を見ると「まぁそうだろうな」と思う。


そういう世の中の中で、真っ当な方法で住み良い社会を作るためにはどうしたらいいか? というのはよくよく考えておかねばならない。言ったもんがちで声が大きな人の意見ばかりが通る世界というのが、本当に弱い人たちを助けたり社会問題を解決するために協力し合う社会になるとは思えない。こういうのを考えると、僕は「ねじまき鳥クロニクル」の中で語られていた、「本当に大事なことは小さな声で語られる」というセリフを思い出す。


PS: 独自ドメインをCloudflareに変更しようとしたら失敗してしまい、表示がちょっと変です。修正はなるべく急ぐので気長にお待ちください。

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