超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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てらいもなく世のため人のために生きていると言ってみる。

てらいもなく世のため人のために生きていると言ってみる。


さて、毎日同じことの繰り返しというのも芸がないからな。何かちょっと捻った表現をしたいけど調子が悪いよね。なんじゃろ、完璧に病膏肓に入っちゃってるので状態が戻るまでは時間を置くしかない感じだよな。


最近のブログを読み返してみても、メンヘラな記事が多すぎてまいっチングだよね。そりゃー僕は言わずもなでメンヘラであるけど、病気をあんまりアイデンティティにしないように気をつけてるんだよね。気分が弱ってくると病んだ記事を書いちゃうけど、病んだ記事を書くと自分も引っ張られるし、読んでくれてる人にも心配をかけてしまうと思うからあんまりネガティブな記事は書かないように気をつけてる。


確かに僕は最近、仕事が嫌で病んだ気分になってるけど、なんだかんだで今の会社には感謝をしてるんだよね。僕の人生というのは常にタイトロープというか、生きるか死ぬかの状況で綱渡りをしながら生きてきたので、このまま社会の片隅で何も出来ずに年老いていく可能性だってあった。今の会社で障がい者雇用で拾ってもらったので、大したことのない僕程度の力であるけど、少しは世の中のために貢献することもできてるかななどと考えてしまうのである。


まぁ、綺麗事みたいなことを書いてるけど、マジで僕の働く目的というのは自分の持ってるスキルで社会貢献をする的な理由なのよ。こういうこと考えるきっかけとしては病気を患って世の中の底辺でこのままくたばっていくのかーという時期に、医療関係者とかいろんな人に自分は生かされてると分かった。後々になって考えて思ったのだけど自分のできる仕事をしっかりとやることが、多少なりとも自分を生かしてくれてる人たちへ何かリターンすることなのだなと考えているのである。


ちょっと自分が生きる理由みたいなことも考えたりしておセンチになったりすることもあるのよ。最近、そういう時期なのか分からんけど、自分はなんのために生活をして生活をして生きてるんだろと考えることが多い。


僕自身がこうやってブログを書いたりとか色々と情報発信したりする理由もそうなのだけど、情報のハブみたいな役割をはたしたりして誰かにGIVEをすることだよね。自分自身が書籍やネットから色々な情報を集めて、それを整理してわかりやすい形で情報発信をしたのなら、誰かの目に止まって役に立つこともあるかもしれない。そういう誰かのお役に立てればOKみたいなノリでものを書いている。


ここんところから話を展開させるとしたら、アドラー心理学の共同体感覚とかその辺りの理屈を引っ張り出してきて後1000字ほど語ればいいのかもしれないけど、そこまであの理論についてもそこまで腹落ちできるまでは極めていない。それに僕はそこまで滅私で行動はしてないというか、自分自身の持ってる能力でもって誰かに貢献してみて自己効力感を感じるとかそんな感じのエゴづくめの行動でもあるのよ。


偽善だのなんだのみたいな所で引っ掛かりを感じるぐらいには人間の後ろ暗い側面も知ってるけど、なんというか、自分が誰か困ってる人を助けたりとか応援をしたりするというのは、それが本当に相手のためになるかということを立ち止まって考える程度のことはやる。


なんかさ、僕は大学の専攻は心理カウンセリングをやってたのよ。まぁ、若者にはありがちではあるが自分の力でいろんなことを助けることができる万能感を持っていて、心理職とか福祉の方面に進もうと思ってたのである。


だけど、二年生ぐらいの時に実際にヘルパーの実習で、障がい者福祉のNPOで重度の身体障がい者の介護ボランティアをやった時に「あ、自分にはこの仕事は無理だわ」と悟っちゃったのよね。自分の力で障害を持ってる人の人生すべてを背負うというのが途方もない大仕事というのを実感してしまった。「人には人を救えない」という風な紋切り文句もあるけども、それはまぁ確かにそうなんだろうなと思う。


だから心理系の学科に行ったんだけど途中からプログラミングを勉強してプログラマになったのだけど、自分の人生というのはハードモードであるから、ブラック企業に使い潰されて統合失調症発症して自分の方が障がい者になっちゃったよね。自分自身の方が介護をされる方の立場になっちゃったのだけど、どうもその頃から大学で学んだことを思い出して色々と考えさせられることがあった。


「夜と霧」のフランクルのロゴセラピーというのがあるんだけど、「人間は意味を求めて生きている」という。病気をやってどん底の時期を経験した後、なんとなくその言葉の意味が微妙に実感としてわかる気がする。


どうも、自分自身の人生において、病気をやったせいで無意味に生きるというのが耐えられない。自分自身を救うためにはどうすればいいのかというのを考えていた時期があるのだけど、自分の能力で持って世の中とか誰かのために貢献することが自分自身を救うことなのではないかなと思ってる。


僕は生業としてプログラミングを学んでたりブログを書いたりするけど、死ぬまではその能力を活かしたり研鑽したりして社会のために働くことが自分の生きる意味ではないかなと思う。どうも、僕が生きる理由についてはそんなことを考えている。

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