歳をとるのは必ずしも悪いことばかりではない。
今日は本当に何もしてないな。エアコンのクリーニングを予約してたので、そちらの作業員が作業するのを待って、そして車のエアコンもまた修理に出す用事があったので引き渡してきた。基本的には自宅でコーヒーを飲みつつネットをブラウジングしてた。
僕は暇がある時に自分のブログをダラダラと深掘りしてることがある。過去の記事などを読んでみるのだけど、まー恥ずかしくて赤面しちゃうね。自分で書いてる文章ではあるが、ダラダラと話を引き伸ばしてえらく稚拙な文章を書いてることもあれば、連日弱音ばかりで辟易するような時期もある。
こういうのは昔の自分であれば「黒歴史」であるとして見ないようにしてるのかもしれない。まぁ、そういう時期があったのである。ブログを毎日投稿するのは問題ないのだが、自分のブログを自分で読むのは苦痛だという現象が発生することがある。この辺りは僕とおんなじように長年ブログを続けてる人なら分かるかもしれない。
今はまぁ「このおっさん、本当に仕方ねーやつだな」という感じで文句はつけつつもちゃんと過去記事を振り返ることはできる。ほんと、僕のブログは弱音を吐きすぎの気もするのだが、これを書いてる時はマジで苦しい中で書いているのだ。その文章を書いてる自分に対してもある程度の共感でもって臨めるようになった。
性格が丸くなってるのかな? そういう所はあるかもしれない。最近は自分の見栄っ張りな所とか、できる人に嫉妬心をたぎらせる自分に対してもある程度、許容できるようになってきている。これはマインドフルネス瞑想を頑張ってきたおかげなのか、それとも加齢に伴い性格が丸くなったのかは分からない。
僕自身、今でもそういう所はあるけど、自意識過剰すぎると人生を生きるのがしんどくて仕方ない。やたらに自分に自信をなくして自尊心を守るために過剰に威張り散らしてみたりとか、他人と自分を比較して地の底まで落ち込んでみたりなど、自分の自意識をコントロールできなかったばかりにやってしまった失敗については数え切れない。
村上春樹氏のエッセイのどこかで読んだことであると思うけど、死ぬまで思春期の感受性をもって生きるというのは相当に辛いことじゃないかと思うのだ。若ければ若いほど良い、歳をとり老いていくのは醜いことである。メディアでもSNSでもそんな価値観が共有されているが、僕の経験で言えばそれは燃えやすいレーヨンを着て火事場にいる様なものであり、いつもいろんなもので大火傷ばかりして死にそうになる。
ある程度歳をとり、感受性が麻痺してきたことで、間違いなく人生は生きやすくなった。繊細な若者の頃にしか文学は理解できないという言説なども読んだりする。歳を取った後でも文学は年相応の感じ方というものがあり、世界が多層的であり複雑であると理解できている今の方が、鮮やかに作者が表現したいものが分かる。
これは僕だけなのか、一般的にそうなのか分からないが、歳をとると簡単に傷付かなくなる。これは単純に感受性が劣化して鈍感になっているということなのだろうか? しかし、昔の自分というのは世界から受け取る情報が多すぎてハレーションを起こしており、目の前の人物や物事が何を言わんとしてるのか理解ができていなかった。むしろ今の方が、相手の考えてることに対してじっくりと理性でもって思考を巡らせて、その人の意図というのが理解できるような気がする。
ま、無論今でも他人の気持ちなんて理解できてないということもありうるけどな。僕の妹からよく言われることであるけど、僕は本当に他人に全く無関心であるらしい。自分の興味あることに対する興味が強すぎて、僕は目の前の人が自分をどう思ってるとか今何をするべきかということに興味がないんだとさ。
体感的に昔と比べると今の方が気楽であり、自分の持ってる能力で持ってやれる範囲というのも理解できるようになったので無理しなくなった。これは孔子の「不惑」というやつかもしれないけど、無理をして頑張る必要のないことに努力しないようになり、他人が持ってる自分にはない才能に対して羨ましいと思わなくなった。現状の自分の立場というのを客観視できるようになり、その中でどのように立ち回るのが有利なのかというのが理解できる経験値は身についたと思う。
僕は君子ではなく凡夫だと思うのであるが、凡夫なら凡夫なりに成長というのはあるもんだ。一般的には若い頃の方が学習速度とかの吸収率は高いと言われてるけど、人間は何歳でも成長できると、僕は思うぜ。自分の中に固定観念を作りすぎないことだね。人はどんな人でも学ぶところがあるとか、ひとまずなんでも経験してみることで物事の見え方が変わるという考え方は重要だ。頭を硬くしすぎて自分が正しいと盲信すると、どんな優れた環境でも人は劣化するものであると思うんよ。
「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」という考え方は重要だね。自分の直感だけで決めつけるのではなく、まずは経験することを重視してみるというのは、何歳まででも成長するための考え方だと思う。