超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ドーナツは人生と同じで深くて重い。

ドーナツは人生と同じで深くて重い。


写真はミスドのドーナツ2種とアップルパイとアイスコーヒーである。土曜日で休みであったので今日の昼飯はこれにした。どうもいつもこのイオンにくると必ずミスドに入ってしまい、ドーナツをいくつか食べてしまうのである。


どうも自分はドーナツが好きであるらしい。コンビニに入ってもよくオールドファッションのドーナツを買って食べてる。沖縄のコンビニではたまにサーターアンダギーが売られてることがあるので、それを買って食べてることもある。


揚げ菓子というのは油がヘビーであるし、あんまり食べすぎると気分が悪くなってくるけど、外側サクサクで内側がしっとりとしたドーナツというのは幸せの塊のようなものである。


以前もブログで書いたことがあった気がするけど、どうもミスドに入ってしまうとドーナツ3つほど選んでしまうのだけど、どうも僕の胃袋の調子的にはドーナツ3つというのは重すぎるんだよね。二個ぐらいに抑えておけばまぁまぁ気分よくその後の時間も過ごすことができるけど、3つもドーナツを食べると油で胃袋がもたれるのである。また、チョコレートとかクリームがコッテリ系のドーナツに関しては一個でギブアップ。他のスイーツにしてもあんまり甘すぎるお菓子って僕はダメだね。


最近、加齢を感じることが多い。マジで自分が歳を食うとは思ってなかったのだけど、食事の好みが変わってしまったりとか、意識的に体をケアしないと疲れたりとか歳を感じることが多い。今日、マストドンでこのようなトゥートをした。


fedibird.com


冗談めかして書いてはいるが、書いてる本人としては笑い事ではない。なんか最近、目が充血してたりとか霞目があったりとかするのである。夜になると目が疲れてきて、寝る前に鏡を見ると目が充血してるのである。


ひょっとして結膜炎かなー? とも思ったりしたのだけど、別に目は痒くないのである。なんとなく夜になると目が疲れてきて、PCのモニターを見るのもしんどいなーと感じるのである。


仕方ないのでドラッグストアで店員に症状を話して目薬を処方してもらって、この目薬をさしてみると随分と改善した。


jp.rohto.com


や、まぁ、確かに僕はもう40とかなってしまったけど、マジでこの歳から老眼になってしまうもんなのか? 多分、僕の精神年齢って大学生ぐらいの時から1歳も上がってないぞ。


内面がガキのままなのに体の方が年老いていって、老眼になったりとか体がくたびれて行くというのは、仏教でいうところの生老病死を感じてしまう。や、この境地になってわかったけどさ、人間の精神年齢ってマジで一定の年齢まで成長すると死ぬまで内面は何も変わらない。


大学生ぐらいの時に五木寛之の「大河の一滴」なんぞを読んでみて、理屈っぽい人が歳を食うと小難しい学問に引っかかって大変だななどと感じていたのだが、実際に自分が歳を食ってみるとわかる。仏教とかマジで40ぐらいの厄年ぐらいの年齢からの生き方の方針を教えてくれる学問であるし、人間というのは何も考えずに歳を食うことはできない。人生の終わりをちゃんと考えずに生きていると、おそらくさらに歳を食った時に訳のわからん不安を抱えたまま錯乱したまま死んでいく。


南直哉という恐山の方の寺の住職代理の方が書いてる本を読んでいると「生きることと死ぬこと以外大した問題ではない」という風な文章があった。なぜか知らないけど、僕はこの言葉を聞いてまあそうだなと不思議な腹落ちをしたのである。


僕の人生というのはとてつもないクソゲーというか、奪われることと得ることの収支がまったく一致しないのである。ブラック企業パワハラ統合失調症を患って、それから福祉施設で飼い殺しになりそうなところをなんとか回避したが、障がい者雇用でできない人扱いされながらこき使われてるとか、卑屈になろうと思えばどこまでも卑屈になりながら人生を呪いながら生きることもできるはずである。


そういう中でなんとなくある程度の自尊心を守りつつ人間らしく生活できてるのか? と問われるのなら、僕は自分の存在というのがこの世界の主人公でないから自分の思う通りに都合よく物事は動かないことを知ってる。また、基本的に人生というのは努力したからといって必ず成功するもんでもない。人間というのは物事を記憶する方法がエピソード記憶だからなのかなんなのか、世の中が物語のようにちゃんと辻褄が合うようにできてると考えるもんだけど、実際のところ現実というのはドンデン返しとかデウスエクスマキナはないもんである。


人生は生きることと死ぬこと以外大した問題はない。何も良いことがないまま老化していき、そして衰えていくのだろうけど、どんな人生であろうが僕自身が納得できるのならば良い人生なのである。レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉で次のような言葉があるけど、今回はこの言葉で締めさせてもらう。

充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらしてくれる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

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