超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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まだまだ自分に満足してる訳ではないっす。

まだまだ自分に満足してる訳ではないっす。


サムネイラストはChatGPTに新しく追加された画像生成で作ってみた。すごいね。これからもたまに使うことにする。


土曜日で今日は休みであるけど、高血圧の薬をもらうための病院受診であったりとかニュースレターを書いたり週報を書いたりするタスクがあるために随分と忙しい。明日は完全フリーの休みであるので、カフェでコーヒーを飲むために名護まで行こうと思う。


ここ最近のブログを振り返ってみると、随分と意識が高いことを書きすぎである。どうも調子が良い時はこんなことを書きすぎてしまう傾向があるようであり、振り返ってみて「しゃらくせえ」と思うのである。


元々僕は、新卒で入った会社では毎日自己啓発本を読み漁って周りにマウントするような意識高い系であった。その頃の癖がまだ抜けておらず、中途半端な実績をブログに書いたりして自慢する癖が抜けないが、そこんところはご寛恕ください。


んー、なんかね。ブログでそういう中途半端なお役立ち情報を書きすぎるのも僕はなんか嫌なのよ。このブログというのは自分のプライベート空間でありながら、外に向かっても情報発信するような中途半端な立ち位置として存在させておきたいと思っており、あんまり有用性のようなところで人の気を惹きたいとは思わん。


自分が普段考えていることを書いてみて、それが結果的に人の役に立つのであればそれはいいことであると思うけど、人の目を気にしながら「いいこと」を書こうとする態度というのが、僕はなんか嫌なのである。どうも僕の性格というのはそういうアマノジャクのところが根本にあるようであり、人の役に立ちたいけど態度としてはそんな風に見せたくないというややこしい思想を持ってるのである。


なんじゃろ、これは日本流の奥ゆかしい精神性見たいなもんかもしれないけど、僕の考えていることとしてはそこともまた違っていて、僕はなんかステレオタイプな性格として周りから解釈されるのが嫌なのよね。


僕はまぁ、どっちかというと真面目な方の性格である。でも周りの人から「真面目な人だよね」と言われるのがすごい嫌。自分はそんな風に他人から解釈できるような単純な性格じゃないぞというエゴがむくむくと首をもたげてきて、変なことをやりたくなってくる。


僕は変人かと問われると、ものすごい変人であるとも言えるし、ある視点から見るとすごい常識人でもある。ブログを2500日以上も連続更新するぐらいには規則正しい生活を維持することにこだわる変人ではあるけど、人から何か頼りにされることがあればちゃんと相手の意図も汲んだ上で世間一般に角が立たないような解決方法を探して一緒に考えてやるとかそういう行動もする。


どうも、転職活動をするということで自己分析をするということになってるのだけど、僕はこれだけ長い間文章を書き続けるという生活をしながらも、自分の性格というのがさっぱり分からないのである。どうも、いつも自分の内面に閉じこもった文章ばかりを書いているのであり、それが他人から見たときにどんな風に見られているのかということにあまり興味を持たない。


「自分探し」という言葉があるけども、ひと時代前であれば若者は自分探しをするために東南アジアあたりをバックパッカーで旅をしたりとか、哲学書を読み漁るような行動をしてたものである。しかしまぁ、自分の内面に本当の自分があるものか? と問われるのならば、自我ってのは玉ねぎの皮のようなものであり、剥いても剥いても本物の自分というのは出てこない。


自分という存在は他人とのコミュニケーションの中でしか出てこないもんなんだよね。他人という鏡像に自分の姿を映してみて見えてくる姿にこそ本当の姿が映ってくるということもありうる。こういうのを心理学的なところでは「ジョハリの窓」などという理論で説明してたりするのだけど、説明は煩雑なのでリンクを貼るだけにとどめる。


www.kaonavi.jp


自分ってのはどれだけ掘り下げたところで実体がはっきりしないからこそ人は興味を持つもんなんだと思う。自分というのはこうなんですーとはっきりと分かってしまったのならば、それは限界を設けてしまうような状態であり、自分がやれることとかどこまで行けるかというのに早々と結論が出てしまうだろう。


自分というのが「まだまだ努力したらやれる」とか「環境さえ変われば実力を発揮できる」と希望を持つからこそ、人は生きていこうという気力も湧くし、状況を変えようと行動するモチベーションにもなる。「自分というのはこんなもんだ」と満足してしまうことは、これ以上の変化を望まなくなるし、向上心もなくなる。


そういう自分自身の限界を悟ることと、自分の可能性を信じる気持ちというのは、僕は今は半々ぐらいである。まぁ自分の人生では社会的な大成功というのはないだろうなと思うから、自分の内面の充実を図る行動を増やそうとしてる。でも、自分の能力を伸ばしていくことには興味津々であり、いろんなビジネスのやり方のノウハウなどを調べてみて知的好奇心を満たしている。自分の人生だけで自己完結するつもりであれば、社会的なことに興味を持つ必要性というのもあまりないのである。僕はそこんところでひとまず「世のため人のためになんかやってみようかー」という気持ちで、自分のビジネススキルについても伸ばしていきたいなと感じているのだ。


結局、ブログでもそんなふうな中途半端な自分への理解というのが前面に出ており、書いてるテーマが一貫性がないのである。こういうのって悟り切ると人生を生きるのは楽になると思うけど、そこから先の道があるのかないのか分からない。人間ってのはおもしろいね。

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