生活を丁寧に過ごすために書き続ける。
本日はみんな大好きブログ論だ! 僕も大好き!!
いや、どうなんでしょうね? 僕はいちいちブログを書くのに御託が多すぎじゃないか?とは自分でも思ってるよ。どうもブログ論がうちのブログのメインコンテンツになってるような気もしなくもない。書くことについて書きすぎるとバカっぽく見えるけど、自意識過剰だろうか?
まぁ、いいか、僕のやりたいようにやるね。創作論ばかり言ってるワナビは、全然作品作れないみたいな法則もあるかと思うんだが、僕は一応、ブログはちゃんと書いたうえでブログ論を書いているので、その指摘は当たらないだろう。
なんかさ、こんな記事を見かけたんですよ。
この記事を書いている大橋悦夫さんは、シゴタノの主催者の方ですね。15年ほどブログを書いてきて感じたことなどを綴られてます。
人の役に立つためにブログを書いているらしいことが綴られています。僕にはない観点ですね。僕はブログを書くのは自分のためであり、読まれなくとも自分が書いていて楽しければ良いやと思ってるのですが、やはり、他人から見られるところに文章を置くならば、役に立つことを書くようにしなければならないという事なんだろうか?
僕の所のブログもそれなりに歴史は長いんですよ。2006年に開始されて、そろそろ僕のブログも15年目に突入しますね。2016年の8月からは毎日更新を開始しているので、5年間は毎日更新をしていることになります。今確認してみると、1670日連続更新してました。
ブログが長く続く人たちを何人か見てきたんですけど、それらの人たちは何かしらの信念をもって継続している。そりゃそうなんですけど、長年にわたってブログを書くということは、それほど楽という訳でもないんですよ。なんのアイディアも湧かない日もあれば、時間が足りなくて睡眠時間を削らざるを得ない日もある。それでも歯を食いしばって書く理由というのは、作者の内面にある信念に頼らざるを得ない。
僕が長年ブログを書き続ける理由はなにか?それを今日は考えてまいろうか。
僕が長年、ブログを更新し続ける理由はなにか?
以前も長年ブログを書き続ける理由みたいなことは考えて書いてあるんですね。こちらだ。
毎日書く習慣を作る事で、日々を丁寧に過ごすため。そう結論付けられてますけど、今も変わってないと思います。
ブログを書くという習慣は、日々の生活に対する解像度を上げるんですよ。ブログを書いている人ならば分かるかと思うのですが、今日は何を書こうか?と日々の中でネタ探しをしたりするのが、日常生活を楽しくします。こうやって気が付いた日々の細かい出来事へフォーカスすることで、ずいぶんと日常を潤って豊かにしてくれます。
大橋さんの記事の方でも、ブログを長年書き続けることでかけがえのない人間関係を作ることができたと書かれていました。僕の方でもそうですね。ブログを長年書き続けることで、嫁さんと出会って結婚することができました。実際、ブログで情報発信をしていると、どんな零細ブログであれど人間関係が構築されていくんですよ。ブログでスターをやりとりしている人たちは、こちらの一方的な思い込みかもしれないけど友人のような親しみを感じています。
ブログを書いている人なら分かるかとおもうんですけど、ブログで交流している人たちは、一緒に生活の全てを共有しているような感覚があるんです。この人はいつも良いものを食べてるなーとか、ああこんな事件があったんだ、みたいにみんなそれぞれで生活の出来事を書いているんですけど、それでそのブログを書いている人の事を身近に感じてしまうんですね。
自分も、できる事ならば日常の生活を丁寧に綴っていきたいなと思ってる。自分の生活で起こった出来事を、自分なりの視点で切り取って、自分の言葉で綴る。こういう文章を、見知らぬ他人にボトルレターとして届けることができるという経験はなかなかないと思います。
僕がブログを書いているのは、なんとなく文通をやってるのに近いですね。
まとめ
いろいろと書いてきたけど、僕が書き続ける理由はそうだ。毎日、リアルを生きたり、ネットを観測したりして、そこで起きた出来事をしっかりと自分に腹落ちさせるために、一日1時間はしっかりとものを書く。そうやって毎日書き綴ってきた結果、14年ほどブログが続いてしまった。
僕が書き続けてきた理由は、世の中とずいぶんと逆行した考え方の気もするね。情報社会に入って、人々が求める情報のスピードはどんどん加速していき、人々は他人の感じた些細なことなどなんの興味もないであろう。
そんな中で僕は自分の生活を生きたり、世の中の光景を眺めて感じたことを一文字ずつ丁寧に綴りたいのである。村上春樹の書いたもので知った言葉だけど、こんな言葉がある。
優雅に生きることが最良の復讐である、ということわざがスペインにあります。どんなひどいことを言われても、されても、柳に風と受け流し、「知ったことか」と楽しく優雅に生きていくことが、最良の復讐なのだということです。含蓄のある言葉ですね。
『「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける490の質問に村上さんはちゃんと答えられるのか?』(村上春樹、朝日新聞社)p52
あるいは、僕は世の中に復讐をしたいのかもしれないな。さして幸運に恵まれた人生を生きているという訳じゃないんで、ここまでしつこく書き綴る執念はそういう所から生まれているのかもしれない。
最後の最後でややこしい話になった。まぁいいや。僕が書くのは生活を楽しくするためだ。