超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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少しは他所ゆきの文章も書くべきかと思った。

少しは他所ゆきの文章も書くべきかと思った。


沖縄は朝から結構強い雨が降っておる。今週は台風が近いせいでずっとこんな感じの天候らしくうんざりしてる。どうにも僕は低気圧に非常に弱いようであり、台風が近いと体調を崩しがちだ。今朝も、朝起きるのがしんどかったりとか、車を運転していても眠くなったりなど調子が悪かった。しかも、今週の木曜日の祝祭日はまたしても出勤日なのである。今週末まで生き延びることができるのかは運次第だなぁ。


さて、何をかこ? たまに考えることであるけど、僕は毎日更新にこだわって日々更新し続けているけど、これは万人におすすめできる方法でもないんだよな。毎日書いていれば普通にネタが尽きる日というのが出てくるし、内容がないのにただただ紙面を埋めるためだけに無駄な内容を書く羽目に陥るケースも多々ある。僕の場合は、これが頭をすっきりさせるためのルーチンであるから毎日書いているけど、文章を上達させたいとかブログというメディアを使って何かの目標を成し遂げたいだとか考えている人は、別に毎日更新にこだわる必要はないかと思われる。


なんか、僕のブログに対して僕が思っていることであるけど、僕はあんまり純日記的なことを書かないなーと思った。毎日更新にこだわって日々何かを書き散らす生活をしている割には、毎回何かしらのテーマにこだわって、思いつきの日記的なことを書くことが少ないように思われる。僕のブログは純然たる雑記ブログであることだし、中途半端に読者の目など意識する必要もないもんだと思うけど。


ブログというメディアに対する向き合い方というのは、僕も随分と色々と考えてきたように思う。僕が書くのは日々の由無し事をただ書き散らしているだけであるけども、それでもネットで情報発信を行うことで知り合う人々だとか、情報発信を行うことで発生するようなイベントのようなものもあった。ネットというのはただ情報が流れているだけの無機質な媒体であるかと思いきや、そこには確実に生きた人間というのが関わっている。ネットの海の中で何かしらの情報発信を行なっていれば、自分が発信している情報と同質の人たちの目に留まり、そしてリアルにも影響を及ぼす。


ネットでの情報発信というのは昔と比べるとどんどんお手軽になっている。インターネット黎明期の時代ではわざわざHTMLを手打ちでサーバにアップロードしていたのが、ブログという存在が現れて文字を入力するだけでホームページを作れるようになった。それからSNSがどんどん進歩していくと、特に長文を綴ることにこだわらなくとも思いつきをネットに放流するだけでネット上で情報発信ができるようになっている。これから未来の情報発信がどのような姿になっていくのかは分からないが、大容量のネット回線が一般的になったことで動画やさらにリッチなコンテンツを使えるようになっている。メタバースというのはまだまだ発展途上の段階であるけど、これから10年も経ったのならばそれが一般的になるのは、まぁあるだろうなと思う。


今現在のネットにおいて、ブログで長文を書き連ねて情報発信を行うというのは時代遅れな行いである。いや、僕自身は元々、何かあれば長文を書くような生活をしてきているのでブログを書き続けるというスタイルが性に合ってるのだけど、今時の時代ならばわざわざ長文を書くために苦労をしなくとも、twitterで140文字をぼちぼちとネットの海に放流するだけで情報発信は事足りる。今時、ブログのような長文を書き連ねるスタイルにこだわってるのは、文章を書くことが好きでそのスタイルにこだわってる人か、世間に疎くて長文テキストの時代が終わってるということに気がついてない人だけである。


僕はこうやって毎日ブログで2000字を書いて更新するというライフスタイルにこだわっているけども、そこで発信している情報については無頓着であるように思われる。日々を生活していて何かしら思いついたことをただただキーボードを叩き続けて文章化しているだけであり、ブログ全体を通じて何かしら表現したいイメージというのは存在していない。毎日書くということにこだわってはいるものの、そこで表現されることについてはさして興味がない。自分の脳裏で走ってる電気信号がどんな風に文章としてコンバートされるのかは興味があるけど、それが世間にどのような影響を及ぼすかということには興味がない。


基本的に、ブログにせよ小説にせよ、僕が書き連ねている文章というのは、僕自身が読みたいような文章を書いているだけであり、それを他人が読んでどう感じるのかというのにはあまり興味がない。しかしまぁ、このブログも長年続けていると読んでくれる読者の方というのが現れるようになってきたので、あまり他人に馬鹿にされないようにちょっとは知的な文章を書こうだとか背伸びをするようになった。僕が文章を書くということは、こういう自分のエゴと他人の視線のブレンドによって抽出された内容が具体的に現れる文章になる。


僕は本当に好き勝手自分の書きたい文章ばかりを書き散らしているけど、それでは当然のことながら世間的に価値のある内容にはならず、少しは僕も世間の目を意識した方が良いのかな?と感じることもある。しかし、よそゆきの文章というのは肩肘が張って、書いていて疲れるのである。毎日1時間もかけて書いているブログなのだから、もう少しは価値のある文章を書いても良いのではないかと思うのだけど。

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