超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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レールに乗った人生をきちんと生きれるのも才能だ。

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レールに乗った人生をきちんと生きれるのも才能だ。


最近仕事ではアプリ開発してる感じなんだけど、やっぱ何も勉強せずに感覚だけでアプリ開発するというのは無理だなーって感じ。僕は基本的にはwebプログラマ10年以上やってるんで、やれと言われて仕様と納期さえ決まっていれば、ある程度客先とも交渉しながら満足いく程度のシステムを作ることができる程度にはシステム開発に慣れている。でも、いきなりSwiftでiOSの開発をすることになって、手なりで作ってみたんだけどアプリ開発というのは Web 開発などとは全く違う。調べながらやってるけど、根本的なとこを理解してない感じなのでアプリ開発の入門書を一度は通して読まないといけないんだと思う。


まあいいか、最近このブログで書いてることが意識高いなあと思った。言われるまでもなく僕は意識高い系なんだけど、最近それが極まってる感じがする。 どうなんだろう? 意識高いかな? 意識高いというよりも、元来の性質が体育会系と言うか、根性とか気合とか山本五十六の「男の修行」の様な精神論大好き人間である。


でも大学生ぐらいの時とか自意識過剰で他人と関わるのが嫌で嫌で仕方なかった。気軽に他人と話せるようになったのはまあ30過ぎぐらいからである。まあある程度年食ってる人間なら分かると思うけど、年を取ると自意識過剰が抜けて楽になるよね。何かこういう増田があった。


anond.hatelabo.jp


歳食ってくると自分は何者かになれるんじゃないか?という風な曖昧な期待がどうでもよくなって、自分はこの程度の人間なんだという身の程がわかるようになる。案外これって重要だよね。


若い頃の感覚というのはヘッセの車輪の下のような、感受性のアンテナがビンビン立っていてそれが一種の文学作品になるぐらいの感性がある。作家などそういう職業にはこういう感受性は必要だったりするけど、感受性が鋭すぎる作家は大概早死にするようである。例えば芥川龍之介とか太宰治とか、感受性が強すぎる作家は若いうちに優れた作品を残して自死か病死でパッと消えてしまう。


まーだがこういう感受性が高い人生が生きるのに幸せかどうかと言うとかなりの疑問である。思春期のような感受性は残したまま一生生きようとすると針のむしろに座らされてるようなものであろう。村上春樹も似たようなこと言ったけど いつまでも思春期のような感受性のままで生きているのは地獄である。ある種の鈍感さと言うか、自意識過剰が抜けるのは三十歳ぐらいだけど、経験的にそれぐらいから生きるのが楽になってくるような気がする。


だけどまあ僕が気にしているのは鈍感になることで成長が止まるんじゃないかと言うな心配である。若さというのは挑戦するエネルギーでもあり、年をとって何事にも文句をつけるような老害にはなりたくないなぁと常に思っている。世の中の流行りものにはとりあえず頭からバカにするのではなくて、まず実際に自分で経験してみてそれから良いか悪いか判断するようにしている。


別に意識高いのはいいと思うんです。「意識高い系」が駄目なんです。なんかビジネス書とかライフハックの技術ばっかし集めて、意識だけ高めてそれだけ成功できたつもりになって全く手を動かさず他人をバカにしているようなそういうふうな意識高い系は世の中には結構いる。だから僕が座右の銘にしているのは「ごちゃごちゃ口を動かさずに手を動かせ、ハゲ!」である。実際僕は手を動かすことを最も重視している。プログラミングの勉強でも座学で本を読むだけで終わらせるのではなくて、実際に動く環境を作って何か作ってみる、そういうのが重要なんである。僕はこんな感じで実際に自分で小説書いたりとか絵を書いたりとか実際に自分で創作をしたりする。


「俺はまだ本気を出してないだけ」みたいな漫画があったと思うんですけど、そういう歳不相応に自分を諦められてないというのもある意味問題ではあるんだ。孔子の言葉で年を取るとやるべきことが分かるようになってくるというのがあるけど、いくつになっても夢を忘れないというのも程度の問題である。例えば家族がいて子供も養わないといけないのに、漫画家になると言って定職を辞めてしまうなど、背水の陣かもしれないけど勝算は低い。


上の増田でも言ってることなんですけど、だいたいまあ中年ぐらいなってきたら人生の着地点みたいのが見えてくるんである。普通のレールに乗っかって凡夫の人生を送るというのも、それできちんと人生に満足できるというのは大切だ。いつまでも意識高い系のように、ありもしない人生の成功を求めてふらふらと地に足がつかない生活をしていると人生の QOL が下がる可能性がある。


汝自身を知れ、と言いますか、身の程を知ってほどほどで満足するというのも人生においては重要なことである。無論、人間の可能性というのは無限というのも嘘ではない。六十歳七十歳ぐらいから筋トレしても筋肉は成長するのである。しかし今手持ちのリソースでどの程度、人生で挑戦できるか冷静に判断できるのも重要な才能である。終わり。

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