超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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「ブログを10年続けていて僕が考えたこと」(倉下忠憲著)を読んだ。

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「ブログを10年続けていて僕が考えたこと」(倉下忠憲著)を読んだ。


今日は倉下忠憲氏の「 ブログを10年続けていて僕が考えたこと」を読んだので、その感想を書こう。


ブログを10年続けて、僕が考えたこと

ブログを10年続けて、僕が考えたこと

  • 作者:倉下忠憲
  • 出版社/メーカー: 倉下忠憲
  • 発売日: 2015/05/28
  • メディア: Kindle


倉下忠憲氏というのはライフハックとか知的生産クラスタで色々と本を出してるブロガーさんである。本書はセルフパブリッシングで書かれたらしいけど、すごくいい気づきがある良書だった。ブログを書いてる人なら一読の価値があるだろう。


倉下忠憲氏によるとブロガーというのは、「 自分の中に書くエンジン持ってる人のことを指す」ようである。まあ自分も分かるのですけど、古いブロガーの人たちというのは情報発信に責任を持っていて、ブログを書くということにプライドを持ってます。ここ最近のブロガーブームなどで、 PV 目的金銭目的のブロガーがたくさん増えましたけど、本来ブロガーというのは誰に頼まれなくても書くし、 利益がなくても書くものである。


これは自分の考え方かもしれないですけど、ブログが続くという人はもう書くこと自体が快感なんですね。何か PV やアフィリエイトなど数字を目的にしてブログを書いてる人は、その数字が変動するだけでモチベーションが上下するし、宝くじでも当たったらブログは書かないだろう。ブロガーというのは日々文字を綴ることが快感であり、自分の中に情報発信をするということに対して強固なアイデンティティを持ってる人である。


僕はブロガーという呼称があまり好きじゃない。現在ツイッターの方のプロフでも見てもらえばわかるんですけど「ブロガー」ではなく「雑文書き」と名乗ってる。これは以前こういう事件があったからである。


www.ituki-yu2.net


なんか界隈系 のブロガーがいたんだけど、そいつが MacBook が欲しいと言って土下座の動画を Twitter で拡散していたのだ。これを見たとき、人というのは金が絡むとここまであさましくなるのかということでマジでブチ切れた。あの界隈の人達はブロガーと名乗ってこういう乞食まがいのことを繰り返していたので、僕はブロガーという呼称が心底嫌になった。なんで「雑文書き」と名乗ることにしたのである。


僕もブログ書くことは結構長くやってきてるんですけど、ブログを書くタイプにも色々いるみたいですね。倉下さんは本書でアルファブロガーやプロブロガーなどの分析をしてる。一時期、プロブロガーブームなどのようにブログで収益を得ることがブームになってる時期があった。その時は稼げないブロガーはブロガーでないみたいな変な競争があった。今でも行くところ行けばそういうのあるかもしれないけど、 Google のコアアップデートでそういう金稼ぎ系のブログは稼げなくなったので YouTube などに移っていったようである。


僕がブログに求めるところというのは、書いているその人の顔が見えるかどうかだ。ブログというのは習慣的にいくらかのテキストを書き続けないと読む人が来ない。 僕が好きなのはちゃんと毎日日記のようにテキストを綴ってるサイトが好きだったりするんだけど、そうやって毎日書いてる人達は息遣いが聞こえるのである。これらの人々と毎日適当にスター付けあったり、twitterでやりとりなんかするのが僕のブログのスタイルですね。


ただブログを書く以上は多くの人に読んでもらいたいと思うのは当たり前の感情であろう。そこにどういう風に書くのかと言うブロガーそれぞれの考え方が生まれてくる。倉下さんは「呼吸をするように書くこと」と「歌うように書くこと」を比較している。


あるブロガーは「呼吸をするように書きたい」と言ったそうだ、倉下さんはその考え方に対して、ブロガーは「歌うように書くこと」だと主張している。


呼吸をするというのは不随意な行動で何も考えずにやることができる。 呼吸をするように書くということは何も考えずただひたすら続けるだけということだ。歌うというのはそこに歌い手の意思や感情を込める。ブロガーというのは周期的に書き続けないといけないのだけど、そこに感情を失ってはいけないということだろう。エントリーを書くにしても、なるべく自然に調子を合わせ、なおかつ読み手を楽しませるように自分の思いをひっそりと潜ませる。そういう書き方が必要であると言ってるのではないか?と思った。


僕のブログの書き方のルールというのは1日に2000字を毎日書くというルールが決まっているだけで、読み手を楽しませる意思というのが欠落してるんじゃないかなと気になっていた。一応、ある程度、読んだ人に何か残るような文章を書こうとはしているのだが、毎日更新でこだわって十二分に心の圧力を貯められてないのではないかと不安になってしまう。


僕が文章に求めてるものというのは、ひたすらに内面の則に従って、内観を表現することなのであるが、毎日更新というやり方では1回の文章で全てを表現することができない。僕が表現しようとしてるものは、このブログ全体を通じて表現されるものなのかなと考えている。つまりはこのブログは僕の生き様を表現する成長する作品のようなものとして意図しながら更新されている。まぁ、プログラマやりつつ統失患ってそこから回復する闘病記みたいなもんだったり、創作の記録だったり、技術の情報共有だったり、そこで気がついたいろんな事だったり、全部ごっちゃでぶちまけてある。ある程度は整理したいとも思うけど、僕の思いつきを全部書くから「超メモ帳」なのである。


倉下さんのいう所では僕みたいなタイプのブログは「隠れ家ブログ」というみたいですね。

どうせやるなら 、アクセスを集め 、注目され 、人気者になった方が楽しい 。そう感じる人は多いでしょう 。隠れ家ブログなんて読みたくもない 、と思っている人であれば 、その感覚はより強まりそうです 。しかし 、隠れ家ブログには独特の楽しさがあります 。隠れ家ブログは 、別に隠れることが目的ではありません 。流行を気にせず 、周囲に合わせることもせず 、淡々と自分がやりたいことをやる 、という一つの姿勢です 。地味を目指すわけではなく 、地味であっても 、自分なりのこだわりがあればお客さんはやってきてくれる 、という思想を持つことです 。おそらく 、そうしたスタンスの方が自分自身に寄り添ったブログができあがることでしょう 。そして 、そうしたブログであるからこそ 、あなた自身と他の人とをつなげる効果があります 。無理して着飾った 「自分 」で人気者になっても 、最終的には疲れるだけです 。隠れ家ブログには 、その疲れがありません 。


別に多くのアテンションを集める必要はなくて、自分のやれる範囲で徐々に分かる人に理解してもらう。そういうブログ運営もあってもいいとは思いますけどね。


この倉下忠憲さんの本は良かったです。ブログを長く続けている人の哲学、ブログ論を深く掘り下げて書かれている本でした。できるんであれば、僕もセルフパブリッシングでこういう風な本を書いてみたいなと思った。

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