超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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生きていると世の中に対する感じ方も変わってくるもんである。

生きていると世の中に対する感じ方も変わってくるもんである。


もう10月の最終週だよ。はやない? 沖縄は最近は秋晴れのいい天気が続いているねー。流石に沖縄でも気温が落ちてきて25度ぐらいの気温になってきてる。そろそろ長袖を出すべきであるか。僕は季節的には冬が好きである。食べ物が美味しいし、空気が澄んでいて風景が綺麗に見える。と、いうか、沖縄の夏というのは本当に太陽が殺しに来る季節であり、沖縄県民であれば日の出ているうちに活動するようなアホなことはしない。冬の方が普通に活動しやすくて快適な季節なのである。まあ、海が綺麗なのは夏の方だけど。


さて、今日はなんぞ考え方についてでも述べさせてもらおうか。どうにも日常生活を送っていて人と話したり、ブログを書いたりしていて思ったことであるけども、斜に構えたらいけないなーというのを最近よく感じる。


「しゃにかまえる」? 「はすにかまえる」? 国語辞典を引いてみた感じだとどっちでも意味は一緒であるようだが、語源は剣道らしい。剣を斜めに構えて、真っ正面から相手と向き合わない事を指すとのことである。


僕も大概、性格的にシニカルな部分も持ってたりだとか、ネットで露悪的な行動を取ることを止めるのに相当に時間が掛かった事を考えると、性格的に斜に構えた所がある。そこんところを矯正しようと思ったのは、人生に対して斜に構えた態度をとっていても1ナノミリも得しないと分かってきたからなんですね。世を拗ねて厭世的な態度を取ったところで、周りの人が心配して構ってくれるのは最初のうちだけであり、そのうち誰からも相手されないようになってくるのである。自分が交流していても裏面交流みたいなもんをやってる相手というのは疲れるし、話をしたら素直に対応してくれる人の方が好感持てる。


どうにも、フィクションなんかではひねくれた影のある人物というのはモテたりするけど、あんなのはフィクションの中だけである。現実では、捻くれていて言ったことをまともに受け取ってくれない相手というのはムカつくばかりだ。やたらゴチャゴチャと小難しい理屈ばっかりを捏ね回してケムに巻こうとする人物は引っ叩きたくなる。


実際に世の中にある出来事というのは専門的で難解なことというのもあったりするけども、相手と自分の持ってる情報量をおしはかって適切にコミュニケーションをとる能力というのは処世術としては基本である。僕も大概、アスペルガー要素が強い人間であるために、一般社会に馴染むのに相当苦労した。居場所から排斥されない程度にコミュニケーションをとる技術は生きるためには必須である。僕らのような人間というのは、興味関心があることを一方的に相手に押し付けようとしてしまうけども、黙ってまずは相手の言ってることをよく聞いて理解することが肝心だ。あんま話さずに聞き上手に徹した方が、相手も気分良く話してくれる。


なんというか、人生を生きてみて気がついたことであるけど、誰かに対してムカつくことがあったとしても、その人の行動を変えることは滅多にできない。基本的に他人というのは自分の考えてる考えでしか行動しないのである。どう考えても自分の方が正しい事を知ってるとしても、相手はその人自身が信じてる情報でしか行動してくれない。相手の行動を変えるためには利を説いたり、情に訴えたりするけども、相手の行動を変えるためにどうすれば良いか?という理屈が、行動経済学マーケティング理論のような学問体系になっている。そっちの方も勉強してみたら面白いが、一朝一夕には身につくものではないだろう。


普段の生活をしていく上で、全く自分の言うことを聞いてくれない他人と暮らしていくにはどうすればよいか?と考えたときに、他人の行動を変えるよりは自分の感じ方を変えた方が楽だと気がついたんですね。相手が自分の思い通りに動いてくれないとイライラしたりすることもあるけども、まぁ、人間というのはこんなもんかと言う事を自分が知っていれば別に気分を害することもないんですよ。


僕の性格というのは「〇〇でないといけない」とか「〇〇しないと」みたいな強迫観念が強いんですけど、この強迫観念の通りに相手をコントロールしようとする癖があって揉めることがよくあった。どうにも気がついたんだけど、別にこの「〇〇しないといけない」ってのは他人と揉めてまでやらなくて良いんですね。これは自分が納得するためにやってる行動である。


なんか世の中というのは複雑なものと言う理解があって、どうにも斜に構えたような態度というか、世を拗ねてる部分があったんですけど、どうも世の中の人たちはそこまで悪い人たちばかりではないってのに最近になって気がついてきた部分があるんですね。斜に構えている自分と、素直に生きている自分を比較してみたときに、どう考えても後者の方が日々の生活を生きやすい。これを一般的に使えるメソッドなどにする方法は思いつかんけど、人生生きてりゃまぁそういう境地に至ることもあるってことだ。

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