超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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他罰的な人間とは距離を置くのが良いでしょう。

他罰的な人間とは距離を置くのが良いでしょう。


絶不調・・・。おそらく天候のせいだと思うんだけど、思考が何かネガティブなことを深掘りしようとしてしまうのを理性で抑え込んでいる状態。体調がよろしくなくてブログ書くのもしんどい状態。。


という訳で今日のブログは休みます。。といかないのがこの稼業の辛いところだ。なんのために毎日更新に命かけてるのか自分でも既に意味不明な状態なのだけど、既に積み上げた記事の数を振り返ってみると引くに引けない状態だ。ほんと、ブログを毎日書くのが普通の状態で、もう休もうという感覚が起きないのである。6年以上毎日更新を続けてるけど、精神的にキツかったりとか急病でぶっつぶれてる状況の時も何度かあったけど、それでも一応ちゃんとブログは続けることができている。


だがまぁ、無目的でブログを書き続けるのが正しいのかどうなのか?と問われると、僕はちゃんとした答えを導き出すことができないね。僕自身の生活においては、こうやってブログを毎日書くことがペースメーカーみたいな役割を果たしていて、気分良く生活を続けることに役に立ってると断言することができるけど、僕とおんなじやり方を万人に薦められるかどうかというのは違うだろう。


僕がブログを毎日書くことで得られた利益としては、露悪的な性格を改善することができて、少なくとも前向きに真面目に生きようという考え方を醸成することができた。しかし、ブログを書いている人が皆、前向きで生き生きした気分になれるかというと疑問符がつく。僕自身がわかってることとしては、わざわざネット空間みたいな人が見るところでグチグチと人の悪口や弱音を書き続ける習慣を持ってる人というのは、他人から何か悪口を言われているのではないかと疑心暗鬼に襲われて、自分自身の自己肯定感を落とすハメになりかねない。全ての人がポジティブで前向きであるのが素晴らしいとは思わんが、僕自身は人生は生きるに足ると信じてる方が普段から気分良く生活できるので、自分が気分良く生活するために人の悪口を言わないようにしてるのである。


ちょっとこんなTogetterがあった。


togetter.com


僕もはじめて遭遇した時はびっくりしたのだけど、常に誰かに対して気に食わないこととかうまく行かないことの理由を押し付けて怒り続けている人というのがいるのである。こういう人は状況がうまく行ってる時でも何か怒る理由を見つけてきて、それで他罰的に誰かを責めてないと気が済まないのだ。


不機嫌で周りをコントロールすることが癖になってる人というのは存在する。こういう人は怒ることで周りの人たちが言うことを聞いてくれることを幼児期にでも学習してしまったのか、いつでも自分が優遇されないことに対して腹を立てている。こう言う常に不機嫌な人には近寄ってはいけない。自分が優遇されて当たり前と認識しているので、怒らせないようにと周りから配慮されていても、それが当然であると傲慢な態度をとるし、信じられない無礼な行動を取ることがある。


こう言うのを「テイカー」と言うのかわからないけど、人から何か利益を奪わないと自分が損するという考え方を持ってる人がいる。この手の「テイカー」が表面上から見ても無礼な人で、品性に欠けている人ならばまだ距離を取れば良いので対処しやすい。ネットの匿名文化圏では割とよくいるタイプだけど、初対面から「お前」呼ばわりしてきたり、人に使うとは思えない罵詈雑言を人に向けたりしてくる。とりあえず、twitterなんぞでいきなりリプライが飛んできたりした場合、その人のホーム画面をよく確認してみよう。リアルでの対人コミュニケーションで使うとは思えない言葉を使っているならブロックすれば良い。


この手の「テイカー」がネットで見かける他人程度であれば被害は少ないのだけど、これが自分の親だったりした場合は被害甚大である。いつも人目を気にしながらコンプレックスを抱えてビクビクしている人はこう言う親に育てられたのかよく分からないけど、理不尽な「テイカー」に対して無制限に尽くそうとする「ギバー」はワンセットだったりする。


最近読んだ本で、鶴見済氏の「人間関係を半分降りる」はこんな人間関係の悩みにすごく良く効く本であると思った。



人生を不幸な目に遭わずに生きる方法はたった一つである。「攻撃してくる相手と関わらないこと」。人生を気楽に楽しく生きようと思うのであれば、攻撃する人間とは距離をおいて、気楽に付き合うことができる相手やコミュニティに所属することである。アドラーも「人生の悩みは全て人間関係である」と喝破したけども、人生はどれだけ運に恵まれなくても人間関係が安定していればなんとか耐えられるもんである。家族だとか会社だとか、我々はいろんな絆に縛られがちであるけども、自分が生きるためであれば奪う相手とは縁が切れても良いのだ。

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