文章の書き方には二種類ある。どう使い分ける?
文章の書き方には2種類ある。
文章を書くときの書き方には2種類ある。小説やエッセイなどの文章を書くような気持ちをそのまま乗せて書くやり方と、論文やニュースのように情報を伝えるように構成を整理して書くやり方だ。
これはどっちが良いとかそういう訳じゃなくて、それぞれ用途が違うのである。文章というのは感情や情報を伝えるためのコミュニケーション手段であるけど、伝えたいと思う目的次第で変わってくるのだと思う。
僕がこのブログで書いている文章は、主に感情を伝えるために小説やエッセイのような書き方をしているけど、これは必ずしも情報を伝えるのに適した書き方というわけではない。情報を簡単に伝えるためには、パラグラフ・ライティングなどの論文などで使われる書き方を用いる必要があるのだ。
独学大全にもこの論文やニュースを書く形式の文章の書き方について書かれていたけど、次のような感じらしい。
学術論文はパラグラフ・ライティングが必須であるだけでなく、全体の構成も明確にルール化されており、どこに何を書くべきかがかなり厳密に決まっている。そもそも、そうしたルール化が進んだ理由は、発表される論文の数が爆発的に増加したこと、そのため強い効率化の圧力が働いたことである。
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効率的に読まれることを目的とする文章では、論文などで用いる書き方を使うのは一般的であるのだ。今回は、自分の文章の方向性としてそういうスタイルを変えるのが正しいのかどうか考えてみようかと思う。
そもそも、自分のブログというのは効率的な情報摂取を目的としたブログではない。
そもそもの用途がぜんぜん違うよなと思う。僕のブログを読んでいる人たちというのは効率的な情報収集を目的とはしていないだろう。
なんとなく、面白げな情報をフレーバーとして取り入れていたりはするけども、僕のブログというのは語り口で読ませることを目的としている。日々日常の由無し事を僕の観点でズバズバと語っていくのが僕のブログの売りではないかと、自分では思っている。
まぁ、なんとなく論文とかニュースの文章の書き方が行き届いているブログというのは、SEO特化型で、目次とかをしっかりと付けた上で構成が考えられているようなやつで、僕のブログがそんなものではないというのは読んでいる読者諸氏が分かるであろう。
自分の書いているブログの内容というのは、訳の分からん悩み事とか日々感じている気持ちなどを、床屋論議で冗漫に語ってくラジオみたいなものであり、効率的な情報収集を目的としている人は他所に行くだろう。
そこの所で、論文やニュースの書き方を目指そうというのは違うかな?とちょっと感じるのである。
しかし、小説やエッセイの書き方を出来るほどに感性が強いわけでもない。
前述した内容によると、自分は小説やエッセイの書き方を極めたほうがよいと結論が求められそうだけど、そうも問屋がおろさない。そっちの書き方を極めてみたいという気持ちはあれど、自分はそこまでエモい文章で読者を引っ張るような書き方の才能があるかどうか微妙なのである。
自分で書いた文章は自分は好きで、なんども読み返したりとかするんだけど、これが他の人に上手く感情を伝えることができる文章になってるか分からない。
というか、そういう小説やエッセイの書き方というのは、どうやら才能の部分が大きく絡んでくる世界のようであり、他の人のブログなどを読んでいると自分なんかよりめちゃくちゃ上手い人というのはたくさん居る。小説家やエッセイストなどのプロなんかはもう当たり前のようにエモくて読ませる文章を書いてくるし、世の中にあまたにある面白い文章と比べると、自分なんぞの拙文を読んでくれる人がいるのかと不安になってしまうのである。
まとめ
どうも、小説やエッセイの書き方の方の感情を乗せて書くやり方をロジカルに人に伝えることというのはできるのかどうか微妙だと思うんですよ。世の中にある文章読本も、多くの人に支持されているような本って論理構成とかそういうのを最初に考えましょうという論文みたいな書き方を紹介していたりするし、感情のままにエディターに叩きつけろーみたいな文章読本は、僕の知っている限りではナタリー・ゴールドバーグの「魂の文章術」ぐらいなものだ。
まぁ、自分は仕事でも文章を書いたりすることが多い仕事ですし、読みやすくて人に伝わる文章を書く技術というのも重要になってくる。小説やエッセイの書き方というのも、文字を使った表現であることだし論理の積み重ねで極めることができる境地でないものか?と考えてもいるんですよね。
僕の文章の勉強のやり方というのはロジックを積み上げていくやり方の方が良いのかな?と思ってるけど、実際に書いているものとは乖離が発生しているなと、そういうお話でした。