超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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みんな「何者かになりたい」世の中だ。

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みんな「何者かになりたい」世の中だ。

「何者かになる」という話が特定界隈で流行ってるらしい。


なんか、「何者かになる」という話が観測範囲で複数出てきている。どうやらシロクマ先生が本を出版したらしい。


blog.tinect.jp


gendai.ismedia.jp


なるほどな、と思った。はてな村で受けそうな話題だ。どうもあの界隈は滅多矢鱈に自意識をこじらせた人たちが多いので、「何者かになる」とかそういう話題は好きな人が多いだろう。無論、僕も好きなのでこうやって取り上げようかと思ったのだが。


でも、僕はある程度、自意識との距離はちゃんと取れてると思うのだけどね。まぁ、この手の話題をブログで取り上げた時点で気にしていることがバレバレなのでまんまとシロクマ先生の策略に乗せられてしまったのだと思うのだけど、気にせず続けてまいるか。


どーなんだろ? 何者かになるというのは、スキームとしては自分自身の主観で今までの自分とは違う自分になることを示しているというよりは、周りの人に認められてチヤホヤされたいみたいな願望を表しているんだよね? 多分、そういう解釈で良いのだろう。


上記の、「自分のない中年」というのは自分も中年になりつつあるから何となく分かるけど、僕は何者にもなれないままに馬齢だけを重ねてさらにどんどん老けて行こうとしている。


多くの人のアテンションを集めてネットの有名人になる。みたいなことは無かったよね。おそらくこれからも無いんじゃないかと思うけど、別にそうなる必要性は全然感じない。


僕は「承認欲求」が薄いのかと思うのだけど、別に誰かに喝采される願望だとかはそんなに無いんだよね。こうやってネットで書いているからには、何かしら誰かに書いたことを読んでもらいたいと思う気持ちがあるのだと思うけど、別に多くの人に褒められたりだとかちやほやされたりみたいのはない。


なんかさ、僕がこうやって書いているのは惰性で続いてしまったという要素が強くて、さして褒めてもらおうとかいう気持ちは薄い。どうも自分は習慣に縛られてしまう所が強いというか、毎日更新は「毎日ブログで一つ記事をあげる」とルールで決めているから続けているだけである。


下手に強い言葉を使ってアテンションを集めてしまう経験は、今までちょっとだけやらかしたことがあったけど、ほんともう結構。どちらかというと辛い経験の方のカテゴライズである。


なんか、今の僕の状況としては、毎日思いついた好き勝手なことを書き散らして、わずかに居る常連さんに読んでもらうことが気持ちいいというだけであって、この書いた文章を多くの人に読んでもらいたいみたいな気持ちは無い。ネットの端っこの方でちまちまと自分の手作業で作ったコンテンツで、気の合う相互読者と交流できてりゃ良いだけである。バズって多くの人に褒められることは、その期待に答える器もない。

他人の承認欲求も気持ち悪いと思ってはいけないんだろうな。


このような増田がいた。


anond.hatelabo.jp


こういうことを書いてたけど、しゃーねーと思った。

ご指摘はごもっともで、多分自分は「趣味に打ち込んで、誰かに認められる」ではなく、「誰かに認められるためにとりあえずわかりやすいものに金を出して何か始める」パターンが多い。

誰かに認められた経験が少ないから手っ取り早く「すごい」と言われる手段を求めているのだと思う。承認欲求バリバリだね。

このネット社会、ちょっと調べるとどんな事象にも初心者向けのハウツーが転がっているので、自分にもできてしまうんじゃないか、という気がしてしまう。これを始めれば人生変わるんじゃないかと思って一時的にカッと熱くなるけど、すぐに冷めてしまう。その繰り返し。確かにこれは趣味と呼べないかも。


情報社会の現代はまぁ、そういう世の中だ。twitterなどのSNSを眺めれば、凄い特技をもった人たちがバリバリに人生楽しんでいて、「もっと人生楽しみなよ」と聞いてもいないのに趣味の楽しみ方だとかを教えてくれる。


上記の増田は世の中の「何者かになれる」という要請に振り回されてどんどんと趣味遍歴のリストを伸ばしていったのだろうけど、僕はこれを馬鹿にする気にはなれない。そういう世の中だからだ。みーんな特別になりたいとうずうずしていて、周りを出し抜こうと頑張ってる。世の中では、なにか一芸に打ち込んで、それを極めていくことが正しいこととされているけど、そんなことはないと思う。その時々でなにかやりたい趣味をやってみて、それで自分が楽しめればよいのであろう。


なんか、他人に認められないと自分が何をやったら楽しいかも分からないというのはかなり末期の状態だと思うが、ままあることだろう。皆、だれかに認められることでしか自分が楽しいと感じることが出来なくなっている。ほーんと厄介な世の中になったものだよ。

まとめ


SNSやらネットで他人の顔色を伺うことしかできなくて、自分が何が楽しいのかもわからない。そういう人が多い世の中だから「何者かになりたい」だとかいう話題が流行るんだろうなー。自分はなんか、見栄でもなんでもなくて日々の生活に満足している。毎日仕事に出て働いて、家に帰って嫁さんと交流して、たまに絵や小説を書いたりして、毎日ブログを書く。こういう生活が割と好きである。こう感じているから、日常生活に満足していればSNS喝采される必要なんて感じないのになーと、感覚では分かるけどそれをどうすれば他人が実現できるのか言語化出来ない。


この話題はいずれ整理してまた挑戦する。

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