超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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言語化して生活を楽しむためにブログの毎日更新をしよう。

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言語化して生活を楽しむためにブログの毎日更新をしよう。

生活の中で気がついたことも言語化するのは難しい。


今日は言語化について考えてまいろうかと思う。普段も皆さんはいろんな事を考えているとは思うけど、それを正確に他人に伝えるための言葉を使うことができるだろうか? 僕は出来ない。こうやってブログを毎日書き綴っているのは言語化の修行のためでもある。


言語化がちゃんとできるようになると、自分が考えている事が何なのか検知しやすくなる。なんとなく理由は分からないけど不機嫌とか調子が悪いという事もあるでしょうけど、そういうときでもなんで機嫌が悪いのか分析できるようになるのだ。またそれだけじゃなくて、それを人に伝えることもできる。他人に自分の感情を共感してもらえるならば、それで機嫌が悪いのも治ったり、どうしたらいいのか機嫌の治し方を検索したり、後からふりかえるためにノートに記録しておくこともできる。


人間が使う言葉には「内言」と「外言」というものがあるらしくて、普段、我々が思考の中で使っているのは「内言」。それを誰かに伝えるために使う言葉を「外言」と言うらしい。

内語ともいう。発声を伴わずに自分自身の心のなかで用いる言葉。特に社会的交渉の機能をそなえる外言と対比される。他人との意志伝達のためではなく,思考の用具として,自己の行動を抑制,統御,調整する機能をもつとされる。また発声までにいたらず,かつ目に見えないような微弱化された発語の運動をさすこともある。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
内言とは - コトバンク

発達心理学言語心理学の用語。外言語,外語ともいう。外に向って発せられ,他人との相互交渉の用具としての機能をもつ音声化した言葉。思考の用具としての機能をもつ内言と対比させて用いられる。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
外言とは - コトバンク


ブログで書くことというのは、生活の中で起こった出来事を軽いエッセイの様にして外言化していく事だろう。簡単に一言で言ったけど、これがすっごく難しい。僕のブログでは1600日以上毎日更新しているけど、それでも自分が考えている事を正確に言葉を介して他人に伝えることは、未だに出来てるとは言い難い。ある意味、これは一生を通じて修行し続ける必要のある事だとは思うけど、具体的にはどうしたら良いのか? 今日はそれを考えて参ろうか。

言語化の修行のためには何をしたらよいのか?


前の章でも述べたことであるけど、自分の考えている事を正確に言語化するのって難しいんですよ。小説書きをしている人達だったら分かると思うけど、自分の脳内で起きている出来事を、正確に読んでいる人に伝えるように言葉にするのって、わりかし至難の技ですよ。どれだけ頭の中で素晴らしいシチュエーションが出来上がっているとしても、実際に書き出して言葉にしてみると考えていることの100分の1も伝わらないという事はあるあるです。自分もこんな感じで他人に自分の考えている事を伝える小説は難しいと思っているから、書いた小説は自分の読む専用で創作活動をやってたりします。


ブログを書いているのは、こういう言語化の修行のためですね。まさしく、言語化の修行のためにはブログを毎日更新するとかはうってつけの練習方法で、書くことがなくても毎日アウトプットをし続けるのを1000日もやればちょっと熟れた文章ぐらいは書けるようになります。


自分がこういう言語化の修行のために使えるなと思った書籍はナタリー・ゴールドバーグ著の「書ける人になる 魂の文章術」だ。


書けるひとになる! 魂の文章術

書けるひとになる! 魂の文章術


書評はこちらで書いた。


www.ituki-yu2.net


ナタリー・ゴールドバーグは文章修行として次のようなやり方を勧めている。

文章修行の基本は、制限時間を決めて行なう練習だ。十分でも二十分でも一時間でもいい。それはあなた次第。最初は短い時間から始めて、一週間したら時間を延ばそうという人もいるだろうし、最初から思い切って一時間とる人もいるだろう。時間の長さはたいして問題じゃない。たいせつなのは、何分、何時間であれ、自分が決めた練習時間のあいだは完全に没頭することだ。

 次に、書く際のルールを挙げよう。

1.手を動かしつづける(手をとめて書いた文章を読み返さないこと。時間の無駄だし、なによりもそれは書く行為をコントロールすることになるからだ)。
2.書いたものを消さない(それでは書きながら編集していることになる。たとえ自分の文章が不本意なものでも、そのままにしておく)。
3.綴りや、句読点、文法などを気にしない(文章のレイアウトも気にする必要はない)。
4.コントロールをゆるめる。
5.考えない。論理的にならない。
6.急所を攻める(書いている最中に、むき出しのなにかこわいものが心に浮かんできたら、まっすぐそれに飛びつくこと。そこにはきっとエネルギーがたくさん潜んでいる)。

ナタリー・ゴールドバーグ. 書けるひとになる! ――魂の文章術 (扶桑社BOOKS) (Kindle の位置No.257-263). 株式会社 扶桑社. Kindle 版.


これは一般的には「ジャーナリング」と呼ばれる手法の文章修行法かな? 一日のうちに時間を決めて、考えていることを全部言葉にして吐き出してしまう。書く瞑想とも呼ばれる方法である。


でも、僕が言語化を修行するためでオススメの練習方法は、ブログの毎日更新である。環境としてははてなブログがもっともオススメだ。はてなブログには、毎日更新した記録を確認することができる。また横のつながりができやすく、書くためのモチベーションが生まれやすい。別にnoteでも良いけど、あそこは書き始めた素人は箸にも棒にもかからないぐらい読まれないし、素人が日記を綴る用途であればはてなブログは最強だと思うのである。

まとめ


ブログに書くことなど特に無いと言う人もいるかもしれないけど、映画を見て感想をブログに書くとか、生活の中での気付きをブログに書くとか、自分がなにか主張したいことがあれば全部ブログに叩きつければ良いのである。そうやって書かれた文章は誰かが読んでくれるし、共感してもらえればコメントを貰うこともできる。もし何も書くことがないのであれば、それは日常生活への観察が足りないだけである。どんなに何も無い日に思えても観察してみるとなにか書くことがあるはずだ。ブログの毎日更新というのは、その日常の中の何かに気がつくための修行だ。


自分が言語化をちゃんと行いたい用途というのは、こうやって日々の記録を付けることで、あとから振り返ってみた時に自分が何を考えていたのか振り返る用途であるが、それでも良いだろう。


人間は言語を発明することで、時間や距離が離れた他の人間ともコミュニケーションを取れるようになった。情報社会の現代では特にこの言語化の能力の重要性が増していっているようである。兎も角、やってみると自分の心の中を自由に言語化できるよう様になると楽しいので、色々と試してみると良いだろう。

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