超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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生きる理由についてはこんな風に考えてるね。

生きる理由についてはこんな風に考えてるね。


今日はそこまで極端に調子が悪いという訳ではないが、なんか色々と悩んでしまってる。どうも、自分の人生というのはあまりにも理不尽なことが起こりすぎてしまっており、何が原因なんだろ? と思ってしまったのである。なんか、最近は会社でも嫌な目にあうし散々である。


どういう問題なのかーというのは細々と語り始めると自分のプライバシーの問題であったりとか、人に迷惑をかける恐れがあるので具体的には書けない。ちょっと、人生の中では病気とかブラック企業とか運が絡んでるような無茶苦茶なことも起こりがちであるし、こりゃよっぽど前世で何かやらかしてるなと考えてしまう。前世で坊さんに手を出したのかもしれない。


冗談はともかく。兎も角、昔からこんな風に人生の意味みたいなものについて考え込んでしまう時はたまにある。なにか不可思議な要素が僕の根性を鍛えるためにやってるのかとも考えてしまうのだが、要らん不幸を経験しすぎて性格が擦れたばっかりで何もいいことがない。


仏教のブッダが人生は四苦八苦であると言ってはいるけども、そういう普遍的な概念以上に幸不幸のムラが大きすぎる気がする。


なんか、会社とかで周りの普通の人たちの話を聞いてるとそれなりに幸せそうな生活を送っている。もう他の人の人生と自分を比べるのはやめた。不毛すぎて何も得るものがない。僕は僕の立場で出会った人たちとの関係を重視するべきであろうし、自分の人生を幸せにするために最善を尽くすしかない。


ひととおり愚痴を吐いたらスッキリしてきた。自分が運が極端に悪いことは昔っから知っている。なにか人と勝負をするようなことで勝てたためしがないし、やることなすこと全部裏目で心を折られる時期というのも何度も経験してきた。どうも、人生ってのは基本的に不幸であるというブッダの考え方とは相性が良い気がする。生きてる時代が一緒であれば友達になれたかもしれない。


もう、毎度毎度心を折られすぎて何か不幸なことが起きても「こんなもんか」とか「それがどうした」みたいな考えが自然と浮かぶようになったよ。人生において望み通りになにか夢を叶えるというのは基本的に無理なもんである。


ポジティブシンキングであるとかアファメーションみたいなもんで、夢を語ってたら自然と引き寄せの法則で理想的になるみたいな理屈があるけど、あれは嘘っぱちなので一切信じないようにした方がいい。あんなふわふわした夢物語みたいな概念を人生戦略の基盤に置いてると、心を折られた時にほんとに死ぬよ。


人生ってのは基本的にクソゲーである。夢や理想は叶わないけど、それでも理想を捨てずに前向きに生きる事を強制され続けているのである。理想や目的を捨てて自暴自棄に生きることは可能であるけど、そうすりゃ人生の無意味さに延々と焼かれ続ける無間地獄である。人生はこんなクソゲーの強制されるのであるからそりゃ赤ん坊も泣きながら生まれてくるもんだろう。


夢破れて心を折られるよりも、無意味に人生を生きるほうの苦しさの方が圧倒的だったので僕はとりあえず曲がりなりにも前向きに生きようとしてるのである。苦痛から逃げたり快楽だけを求めて刹那的に人生を生きるのはね、苦痛というよりも虚無なのよ。失敗したり不幸な目にあったりするのは辛いけど、目的を持って生きているのなら自分の存在する理由のようなものはある。でも、苦痛を避けるだけのためにずっと逃げ続ける人生は、生きてる価値すらない。


ただ漫然と人生をいきて価値を求めていてもなにも得られない。たまにちょっとしたボーナスで脳が快感を得られることはあるかもしれないけど、それは自分が生きててもいいと感じられるような価値にはつながらない。人生に価値を求めるのであれば、自分で意識的になにか生きる理由を追い求めて走り続けることが求められる。


なにか理想を求めて行った行動が実現するとは限らない。また、どれだけ成功しようが失敗しようが、人間の寿命が尽きて死んでしまえばすべての事はなにもかも無になる。成功しまくって途方もない財産を積み上げたイーロンマスクのような人物でさえ、死ねばなにもなくなり完全な無である。ちょっとばかし名声をのこして世の中に語り継がれたとしても、死んだ後では自分で聞くこともない。


人生に意味を与えようと思うのならば、自分が生きてもいい理由をでっち上げて、それに向かって活動することである。この生きてもいい理由は他の人に称賛されるようなものでもなくていい。自分が、明日の朝布団の中で目が覚めて、起きて行動したいとおもうような理由であればソシャゲでも立派な生きてもいい理由だろう。


うん、ブログで与太話を書いていたらすっきりしてきた。僕が生きてもいい理由は、こうしてブログでほんとだか嘘だか良く分からないような雑文を書くのも理由の1つである。生きていい理由は複数あった方がムダに心が折れにくくなっていい。僕はこんな風に生きる理由を考えている。

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