超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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生きてる実感を積み上げるためにブログを使おう。

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生きてる実感を積み上げるためにブログを使おう。


本日の沖縄の新規感染者数1700人超。早くも感覚が麻痺しつつある。在沖米軍の感染の比率は世界最悪クラスであるそうだ。今日は念の為にPCR検査を受けてきた。結果は後日メールで来るようだが、今の所、体調不良のような症状はまったく発生していない。そもそも、僕がPCR検査をしてきた理由は、年末年始に初詣などで人混みを出歩いてしまったから警戒してのものである。どうも、この調子で行くと再び会社でもリモートワーク再開とかがあり得る。僕はそんなにリモートワーク好きじゃないんだよね。集中力が続かん。


さて、何書こう。今日の昼間に思いつきを下書きしてみたのだけど書いてあるのは「僕はブログを書くのが好きだ」の一言であり、こんなものをどうやって2000字まで膨らませろというのだろう。。


ようするにブログへの愛を熱く、エモく語れということなんだろうな。まー、僕はブログを書いてもあんまりアクセス数が稼げたりとか名文が書けたりとかはしないけど、ブログ書くことだけは大好きっすよ。寝る前に色々と今日考えていたことをつらつらと書き綴るのは、丁度よい精神安定剤みたいになってますね。


僕は今日のこの更新で1973日連続更新で書いているんだけど、こうやって毎日更新しているのは別に数字にこだわってるからだけではないんですよ。まー、更新日数も僕のブログ更新のモチベーションの源にはなってるけど、別に数字増やす目的だけなら適当に一文書いて終わらせても数字は増えるもんな。そういうのはつまらんからやらないようにしている。僕は毎日自分が考えた思いつきを書き綴りたいのである。


なんかさ、言語化しにくいのだけど、頭の中で浮かんだ考えを言葉にしていくのが楽しくて楽しくてしょうがないのだよね。文章を書いているときはそれなりに苦しいのよ。ブログで書く文章は人に読まれるものだし、ある程度は体裁がまとまった文章を書かねばということで、文章の流れとかを考えつつ頭をフル回転させながら書き綴ってるのだね。その結果、完成した後にできた文章を読んでいると、「僕はこんなことを考えていたのか」と自分でも再認識することがあるのよ。


僕は、仕事に退屈してきたときにサボりで自分の書いたブログを読みふけっていることがある。そしたら、この人本当にいろんな小難しいことを考えてたりとかゲスなことをいってたりするんだけど、一応、ちゃんと信念というか、一本筋を通して生きてきたのだなと分かることがあったりする。はい、そうです単なるナルシストです。笑わば笑え。僕だったらこんなことを言うやつは指差して笑う。


や、でも、このブログで書いていることはネットでのペルソナなのだけど、僕は自分の本心は歪めないように書くことだけは気をつけている。僕の信念の一つだけど、「嘘は言うな、愚痴は言うな、見栄を張るな。それらは口からエネルギーが逃げる」みたいな言葉を信条に掲げている。その時その時で考えていることは変わってるから、書いてることは前後で矛盾があったりもするけど、記事を書いているときはすべて、自分の気持ちに嘘を付かないようにして本音を書いている。僕は自分を飾るのが苦手だ。このブログでも素の自分をそのままさらけ出して、それを受け入れてくれる人だけ読み続けてくれればよいと思ってる。


ネットでの人付き合いでもリアルでの人付き合いでもそうなんだけど、気を使いながら付き合うような相手というのは、どうせ長く継続して関係は続かないと思う。どうにも僕は相手に嫌われないように気を使うというのが苦手で、なるべく論理的で場に即したコミュニケーションは取ろうと思うけど、気が合わないなと思う相手は付き合う必要がないとすぐ諦めてしまう。どうせ付き合う相手ならばお互いに気を使わずに自然体で付き合える相手が良いし、仕事でもないブログでおべっかを使う気にもならん。どうでもよいやつとはどうでもよい付き合いしかできないだろうし、素の自分が良いと評価してくれる人ならば、長く付きあっても疲れないだろう。


ブログにしてもそうなんだけど、僕がはてなブログでスターを付けたりするブログというのは、ちゃんと地に足をつけて真面目に生活を送り、それを自分の言葉で語ろうとしているブログを好んで読者登録をしている。なんか、意識だけ高い系というか、綺麗事を吐いちゃいるが実践が伴ってない奴については僕は嫌いですね。なにか理想を成そうと思うならば、自ら一歩ずつ歩み続けるしかないのであり、それを頭でっかちに口先でごまかそうとしてはいけない。自分の行動で本質に近づいているかどうかは、自分の実感でしか分からない。本質というのは行動に即している。自分の頭で考え抜いてそれが正しいと思うならば、迷わず行動に移せばよい。


僕は自分を鼓舞するためにブログを書くこともある。どうにも僕の人生というのはハードモードで、自己憐憫しているとあっという間に心を折られて死んでしまうような環境で過ごしてきた。ちゃんと今まで生きてこられたのは、確実に手で掴んで実感できる気持ちや事柄だけをスモールステップで積み上げてきたからである。ブログの毎日更新というのは、その自分が感じたことをきちんと言語化して積み上げるための方法であった。もし、人生に絶望している人が居たとしても僕はブログの毎日更新を勧めるだろう。しかし、自己憐憫はするな。自己憐憫はクソの役にも立たん。どうすれば自分がより過ごしやすい状況になっていけるのか、手探りでもいいから考え抜いて文章に書いて行動に移せば良い。別に人生で何事かを成す必要もないかとは思うが、何事かを成したいと思うのならば、人生の中で一番若い時は今だ。明日やろうという引き伸ばしを延々と繰り返していたら、引き伸ばしの繰り返しで10年経っても何も変わらん。やりたいことがあるならば今すぐやれ。少年老い易く学成り難し。光陰矢の如し。人生の中で今という時間は本当に今しかないぞ。

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