超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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最近、twitterを観測していて思うこと。

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最近、twitterを観測していて思うこと。

ようやくtwitterとの付き合い方が分かってきた。


最近、ようやくtwitterとの付き合い方が分かってきた感じなんだけど、とりあえず気をつけている点としていることは

  • なんか炎上してたりだとか興味がない流行ってるものについてはキーワードミュート
  • 不愉快な情報を流してくるユーザに関してもミュート
  • そもそもインフルエンサーと呼ばれる人たちに近寄らない


ぐらいである。このコロナ禍でよく分かったことなんだけど、あれは強い意見を拡散するだけのものであり、世間の民意が反映されるような代物ではないということだ。デマだろうが暴言だろうがいっちょ噛みしたい人が多ければ拡散されて、それが間違っていて正しいファクトチェックで打ち消そうとしても無駄。


そもそもtwitterというネット空間は議論するのには向いてないというのはよーく分かった。とりあえず相手の意見を認めてやっていなす、みたいな対話のテクニックが全く通用しない。どんなことであれ、謝ったら負けで、なにがあろうとも強い意見で相手を叩きのめさないとギャラリーが満足しない。ネット剣闘士の殺し合いを楽しむ空間である。


僕はネットで生産的な議論をするのは無理だと悟りました。この様な記事もあった。


gigazine.net


陰謀論とか反ワクチンみたいなものを信じている人たちは、ファクトチェックで正しい情報を伝えようとしてもかえって自分たちの確信を強めていく。カルト宗教とかでもそうなんだけど、信者たちは周りから圧力を加えれば加えるほど、過激化してどんどん偏っていく。


人間は信じたいものを信じるのである。それが事実と違っていようが関係なくて、自分が信じたいと思わせるなにか魅力的なものがあるからこそ信じるのだ。だからこそ以前のトランプ元大統領みたいな人物が躍進したのであり、別に陰謀論を信じている人たちは『それが心地よいから信じていて事実はどうでもよい』のである。


で、それを修正しようと躍起になる中でも嗜虐的な人たちがいて、そちらも過激化を始めておかしなことになり始めている。自分の反対意見の人たちを修正するためには何を言っても良いと思ってる人たちがいて、信者は吊し上げて石をぶつけようみたいなおかしな流れになっている。


近年話題になってる「社会の分断」というものは、このように過激な意見を持つ者同士が対立して争ってるからこそ発生している現象であり、どちらが原因というわけでもない。政治だったりジェンダーだったりだとかその手の問題で、一般的じゃないものを信じて布教しようとしている人がいて、不寛容な人たちがそれを粛清しようとしたりして世の中でまとまった常識みたいなものが無くなってしまった。


僕はセンシティブな話題でわんわん吠えてる人たちは全員ミュートすることにした。あの人らと関わっているとかえって正しい情報が分からなくなる。なんか、コロナ禍でネットはヒステリー状態になってるなーというのは皮膚感覚で分かる。賛成も反対どっちもイライラしていて、相手側の失言吊し上げてみんなで大喜利しようだとかそんな感じで、ヒステリックに騒いでいるだけで現実を直視しようとしていない。


コロナに関してはSNSで情報を集めるのはかえって非効率であると思いますよ。twitterにしてもそうなんですけど、こまぎれにされた情報でその全体像を掴むことは難しく、情報は過激にデコレーションされて、心静かに事実だけを考える情報を得るのが出来なくなっている。


なんか、自分は最近の世の中の情報源としてはNHKの定時のニュースだけみている感じですよ。なんせ、民放のワイドショーと違って変な煽りがない。民放のワイドショーは何を考えているのか分からないけど、近年は、メディアの方もtwitterなどに追随してきており、メディアが炎上を煽りそれで実際に炎上したらまたメディアで取り上げるみたいなヤラセのようなことも横行しているという。

まとめ


成熟した民主主義を作り上げるためには、熟考を重ねた議論が必要だと思うのだけど、近年のtwitterなどにみられるネット論壇というのはヒステリックに相手のあらを探して突き上げるようなことばかり。そもそも議論というのは、相手に対する信頼とかリスペクトが必要だと思うのだけど、ネットで議論をしている人たちにはそれは感じられなかった。直接民主制ってこういう理由で駄目なんだろうなーというのはなんとなく分かった。


僕はリアルを充実させるためにネットを利用しようと思っている。リアルの生活では家族が居たり友達がいたりで、それらの人たちとは分断も起こってないのだけど、こうやって仮想空間が荒らされていくとそのうち現実にも侵食してきそうな気がして恐ろしい気がする。せめて現実の血肉があるコミュニケーションを大事にしようと思った。


ちなみに、陰謀論とか反ワクチンみたいなやつをほっとけという意味ではないです。ネットでそれらの人らとバトるのは、喧嘩するのが好きな人だけやっとけばよろしい。僕はいいです。ネットは未だ法整備やら倫理観やらが未成熟で対話が必要だと思っているのだけど、喧嘩腰でできる対話があるもんかね。


僕はできるだけネットのネガティブな情報で消耗しないようにしながら人間観察して、それで考えて分かったことを話し合える人に伝えていこうと思う。人の世がどう流れていくのかじっくりと眺めて、そこで自分が何をやれるのか考えたい。雑踏の流れをじっくりと観察して、熟考しなければ答えはでるものか。世の中の難題に早急に答えは出せん。僕はじっくりと考える。

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