超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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習慣を作るならば仕組みづくりがすべて。

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習慣を作るならば仕組みづくりがすべて。


仕事さぼりすぎ、ってか、今日は実質働いてないです。やっぱり仕事中にtwitterなんぞを覗いていたらまーーったく仕事になりません。


だから普段はBlock Siteってchrome拡張でSNS系は全部遮断しているんです。今日は何の気の迷いか、その拡張を解除しちゃって朝からずーっとweb巡回をしていたんです。


現状、別に納期的に忙しいという訳でもないので1日サボったぐらいでは大局に影響はないんですけど、自分の気分的に最悪。とりあえず、僕は言い訳の天才なので、休日に朝寝をしたら「よく眠ったなー」と言い、仕事を一日サボったら「よく遊んだなー」と言って水に流してしまう。


別に気分が悪いのは水に流せば良いのだけど、こういう失敗を二度も三度も繰り返すやつはアホですよ。勤労意欲はあるけど集中力がない。かなり強度のネット中毒者なので、何がなくともネット環境さえあれば一日の時間を潰せる。せめて生産的な事にエネルギーを使えばいいのに、まるっきり非生産なとこばかり閲覧しちゃう。


とりあえず、僕はこういう事にやる気とかモチベーションの問題を持ち出さない様にしています。



なんか習慣を身に着けたり悪い習慣を止めたりするのに、気合いや根性みたいな精神論は全く役に立たない。生活の中で何かをしようと思ったならば、仕組みづくりがすべてであり、行動するための精神的障壁を全部、取っ払ってしまえば自ずからやれてしまえるもんだと思ってます。


確か、池谷裕二の本を読んだときに、「人間に自由意思はない」みたいな事が書かれていた。


www.ituki-yu2.net

リベットという研究者の行った有名な実験があります。被験者に「ボタンを好きなときに押してください」と言っておいて、被験者がボタンを押したときの脳の活動を調べました。当然、常識から考えれば、まず「押そう」という意思が生まれて、そして運動をプログラムする脳部位が活動して、そして、手指にボタンを押せという指令が送られるのだろうと考えられます。

ところが結果は違ったのです。なんとボタンを押したくなる意思が生まれるよりも前に(長いと一秒ぐらいも前に)、脳の「運動前野」がすでに準備を始めていることがわかりました。つまり、最初に脳の活動が生まれ、次に「押そう」という意思が生まれ、そして指令が出されて「手が動く」というメカニズムだったのです。

自分の意思でボタンを押しているような気がしているけど、実は、脳の動きのほうが先で、意識はずっと後だったということで、つまるところ人間に自由意思があるといえるだろうか、という議論が出てきたのです。


科学的な見地からは、自由意志はおそらく”ない”だろうといわれています。


池谷裕二 脳はなにかと言い訳する p164-165



こういうの、受動意識仮説っていうみたいです。

「人間のイシキというものは、ただ見ているだけ、ただ感じているだけで、何の決定権もなく、脳が機械的に動いて決めたことを、自分の自由意志で動いていると勘違いしているだけの哀れな存在にすぎないのです」

という考え方を受動意識仮説と呼ぶ。


www.noexit.jp


で、そういう人間の脳ってのは気分次第でなんとでも物事の受け取り方や行動の良し悪しを変えるので、自分が何かできないときに何でできないか考えるのは無駄です。あるのはただやりたいことを出来なかったという事実があるだけで、そこに何らかの価値観を決めてしまうのは自分の後付けの判断です。自分の事実の感じ方をコントロールすることができたならば、つらい事実があっても軽減できるし、楽しい事実を何倍にもできる。


僕のもう一つの哲学として次のようなものもある。



受動意識仮説で考えるならば、人間に本心はない。人間というのは、実際に発言した事ややった事だけがその人の思っている事である。実際に、人間がその時考えているめんどくささとかあやふやで、作業興奮でも与えてやればめんどくさい気持なんか忘れて集中してしまう。


僕は人間は「習慣の動物」と思っているので、やり方さえ工夫したら楽に行動を変える事が出来ると思う。ブログも毎日決まった時間に書く様に決めたら、数年単位で毎日更新できている。さぼり癖もなんとか治さんとならん。

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