超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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はてなブログ運営が「Re:ブログ」なるものを流行らせようとしてる。

はてなブログ運営が「Re:ブログ」なるものを流行らせようとしてる。


まーた、体調不良のサイクルに入り始めてるよ。どうにもメンヘラは体調不良と友達のところがある。気を抜くと理由もないのに体調不良に陥るのである。こういう状態に陥った時はジタバタしても仕方ないので、ひたすら生活のルーチンを緩めてしまってダラダラするしかない。「じたばーたするなよジュウシマツがくーるぜ♪」 というやつである。


さて、今日は記念日である。何の記念日であるか当ててみると良いだろう。twitterで風船が飛ぶやつである。


何もめでたくないというか、ある一定年齢以上からは誕生日は体が衰えていくこととか、死が徐々に迫ってくるカウントダウンの音でしかなくて嬉しくない。今年はとうとう年齢が大台乗っちまったしな。帰りは一人でラーメン食ってきたよ。



なーんか、僕はそれほど悲観主義者という訳でもないが、あまりにも今までの人生にデカすぎる落とし穴が多すぎて身も心もボロボロである。将来のことを考えても明るい未来というのは想像しにくい。常人には越えられそうもない途轍もない壁を乗り越えちゃった自分はすごいと思うが、これってそこまで誰かに褒められる訳でもないんだよね。


別に誰かに褒められるために生きてはいないのだが、何とも人生というのは苦難の連続であるなというのは実感としてある。徳川家康の遺訓の伝説で「人生とは重き荷を背負い長き坂を登るが如し」という一節があるが、今までの人生を回顧してみるとまさにその通りだなと思う。その坂を登りつめた先に良い景色があると面白い。僕はとりあえず、死ぬときは「やり切った」と納得できる人生が良いと思っている。精々、趣味にせよ仕事にせよ、手を抜かずに自分のベストを尽くすように心掛けて参ろう。


今日はこちらの週間はてなブログの記事を引用して適当に語ろうかな。


blog.hatenablog.com


はてなブログ運営が「純日記」というキーワードに続いて「Re:ブログ」というのを流行らせようと活動しているようである。なんか、普通、reblogって言ったらtumblerだと思うのだが、そういうツッコミも野暮だろう。


僕がブログをやってきた歴史って結構長くて、普通にmixiみたいな原初のSNSが流行る前からmovable typeでブログをやってたし、はてなブログもダイアリー時代からやってるので2006年からこのブログは続いている。まー、今日日、みんなネットをやるようになった時代であるし、僕ぐらいの歳の人間はおんなじように大学生ぐらいの時から初期のインターネットで何やかんややってきたもんだろう。


昔は、ブログ同士を繋げる仕組みとして「トラックバック」というものがあったのだが、スパムの温床になる仕組みだったので廃れてしまった。昔はlivedoorブログだとか他社のブログであってもトラックバックで言及することができて、「ブログスフィア」と呼ばれる一種の文化圏が築かれていたのである。この時代はネットというのがまだ性善説で進歩していくと信じられていて、ブログを通じて建設的に議論をしようという活動をしているユーザが多かったのである。


はてなブログでもブログを通じて言及して議論し合う文化というのが昔はあって、「はてな村」と呼ばれるコミュニティがあった。ひとたび村祭りが始まると皆で同じ議題について言及しあって、はてブで手斧が飛び交い、中には頭に手斧を食らってリタイヤするようなユーザも出てくる攻撃性が高いコミュニティであった。どんなもんか村の史料を知りたい人は、はてな村奇譚を読めば良いだろう。




そのころに活躍していたネームドのはてな村民というの人たちは今でもブログを書いてるようだが、言及文化の衰退に伴ってどことなくブログで情報発信することにみんな飽きているようである。僕自身は、こういう言及文化が衰退したことで、よかったのか悪かったのかよく分からん。


昔のはてなって、下手なことを言うとブクマカが集まってきて吊し上げて炎上するようなことがある文化圏だったんだよね。なんか、僕が見てきたはてなの文化圏というのは殺伐としていて、自意識過剰の人たちが自分のプライドを賭けて潰し合いみたいなことをしているのを見かけることもあった。今みたいに縁側で茶飲み話でもするようにブログを綴れる平和なコミュニティでも良いかなと僕は思うんですけどね。まぁ、平和な交流が促進されるのであれば「Re:ブログ」でも良いと思うんだけどさ。

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