超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

ネットの限界を超えるフェアトレード

ネットの限界を超えるフェアトレード


さて、今日も楽しいブログの時間だ。僕がブログを書いてる時というのはストレス解消のために文章を書き散らしてるという感じであり、あんま意味のあることばかりを求めても意味ないかなとか考える。


とはいえ、今日も特に語りたい話題がない。ネットニュースを適当に広げて書きまくるということもできるけど、誰かにとって有意義な話ばかりをするのは疲れるなーと感じるのである。


ブログというメディアにとって、「誰かの役にたつ」ということが意味があることなのかどうなのか? というのはなかなかに興味がある。人間のやる行動に対して全て役に立つのか立たないのかの価値基準で絞っていったら、コスパとかタイパばかりをありがたがる人たちばかりになる。


僕のような個人ブログってのはおそらくコスパとかタイパとは全く真逆の方向性に突っ走ってる存在だと思うんすよ。有意義な情報を出来るだけ素早く情報収集したい! という人は僕のブログには来ないだろうし、そういう人たちは自己啓発本要約みたいなYouTubeを倍速で見てるような人で、今日日ブログの読み書きみたいなことには興味を示さないと思う。


情報発信を使って稼ごうだとか考えるならば、有益な情報をわかりやすく表現するということが必要になってくるかと思うけど、僕がそんなことに全然気を使うつもりがないというのはブログを読んでくれてる読者諸氏はご存知であろう。普通の人はここまで図表も使わずひたすら文字が詰まったブログは読もうとは思わんだろうし、最近の人たちは動画を使って情報に接している。


「役に立つ」ということを徹底的に煮詰めた結果というのが、昨今のGoogle検索の上位に現れてくるような出涸らしの「いかがでしたブログ」であり、ネットの大多数がそういういかがでしたブログばかりになった結果、Google検索が使い物にならなくなったのである。多くの人にとっての欲望を最適化しようとしたならばそれは「楽してノーリスクで稼ぐ」ということであり、それを突き詰めたのがブログオワコンである。


こういうのなんじゃろねーとは思うんだけど、要するにこういうコスパとかタイパを追求するようなスピードばかりを有り難がるネットの潮流というのは焼畑農業のようなものであり、もともとそこにあった面白い人たちの才能であるとかコンテンツを消化する人たちばかりが集まってきて、すごい勢いで何もかもを焼き尽くして飽きたら放り出していくという精神性だよ。


なんとなく最近は民主主義とか資本主義に興味があって色々と考えたりとかしてるんだけど、リバタリアン的な人間の欲望を全部市場の見えざる手に任せるやり方というのは、その市場がサステナブルに続くかどうかは興味がなくて、最終的には元からあった環境のリソースを使い果たして放り出していくやり方なんだろうなと思う。


迷惑系YouTuberみたいな人たちがいる。あの人たちがやりたいことというのは、手段はどうでもいいから目立って稼ぎたいということである。あれらの連中の商売がなぜ成り立つのかというと、それを面白がって喝采するギャラリーがいるからだよ。多くの人から眉を顰められようとも、一部の熱心なギャラリーがいるからこそ存続できるのである。


なんとなく書きたい話が見えてきたな。ルールも特に設けてない個人主義ってのはダメっすね的なことだったりとか、マーケットをちゃんと持続可能にするためには適切なルールや倫理観を作っておかねばならぬよな的な話だな。


僕が想像するのはコーヒー豆の生産地の話なのだけど、コーヒーの生産地というのは実際に出回る焙煎後のコーヒー豆よりも格安の賃金で働いてる発展途上国の労働者の手によって支えられている。


コーヒーが世界で愛飲されるまでの歴史というのは、西洋諸国が帝国主義で全世界に植民地を開いていたことによる残滓の様なものだ。今でも日本でこうやってコンビニなどでも安価で美味しいコーヒーが飲めるというのは、低賃金でコーヒー農園で働いてる人たちのおかげである。


しかし、実際にそれらの貧しい国々でコーヒーを生産してる農家の人たちというのは、貧しくて子供が学校に行けないということもあるのである。なので、先進国の方ではそういう貧しいコーヒー農家の人々を金銭的に支援してサステナブルなコーヒー豆生産をしていこうということで「フェアトレード認証」を設けてる企業もある。


コーヒー生産地の実情とフェアトレード認証の関係を考えると、行きすぎた資本主義や個人主義というのは世界を滅ぼすなと思う。今のネットの実情にしても、「楽しければいい」「自分が儲かればいい」でそれが社会にどんな影響を及ぼすかとか、その刹那的な楽しみのために傷つく人もいることを忘れている。


なんか説教みたいになってるけど、いいんじゃないっすか「サステナブル」。イナゴみたいにわーっと湧いて、わーっとそこにある才能やコンテンツを食い尽くして大移動するようなネットの動きというのもいずれ限界が来ると思うんすよ。フェアトレードみたいにちゃんとした倫理観とかルールとか取り決めて、作り手にもポジティブな循環がある仕組みってのは必要だと思いますけどね。

プライバシーポリシー免責事項