超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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40も過ぎれば鈍感力って超重要だよね。

40も過ぎれば鈍感力って超重要だよね。


今日の調子:非常に悪い。どうしたもんか。色々と理由はあるのだが、アクシデントが集中してしまい神経焼き付き状態に陥っている。


昨日の夜、母親が「産んでやって育ててあげた恩」などという訳のわからん恩着せがましいことを言い始めたので喧嘩になり、そのために朝の気分が最悪。それから仕事の上で僕が報連相が足りずにパワハラ上司と摩擦が起こり、さらに神経を逆撫でしてしまいメンタル沈没。


今のところ、メンタルの状態が最悪の状況であり、下手にてなりで文章を書きまくるとネガティブなことを書いてさらにドツボにハマるやつであるので、今日は本当に適当なことしか書かない。今、問題の掘り下げなんてものをやるとさらに傷を広げるようなことを書くはずであり、感情の状態が自然回復するまではブログの方でも手を抜く。


togetter.com


このような Togetterの記事を読んだ。鈍感力って重要だよねーという風な内容。このこと、実に実感として分かる。


僕は現在、40代のアラフォー真っ盛りなのだけど、歳をとってよかったことは何かと問われると、思春期の頃の過剰すぎる自意識というのが薄れてあんまり傷つきにくくなったということだ。昔の僕はかなりとんがっており、図書館に篭って本を読みまくり、自意識を拗らせすぎて常にいらん悩みを悶々と悩み続けるような青春時代を送っていた。


この辺りは文学の世界でも思春期の時の繊細すぎる感情というのを主題に語ってる作品というのは沢山あり、僕がパッと思いつく中では三田誠広著の「いちご同盟」であるとか、橋本紡著の「半分の月がのぼる空」などが思いつく。どちらも重病で入院中の女の子が出てくるね。自分はそういうのが好みなんだろうか?


思春期というのはとにかくいろんな壁にぶち当たって悩みまくり、そして失敗して何度も心が折れる。色々と自分なりに試行錯誤をしながら経験を広げていく時期である。この頃というのは自意識を拗らせて悩みがちな時期ではあるけど、それは自分なりのスタイルというのが確立できてない時期だからだ。


僕もそれなりに歳をとって過去を振り返ることができるぐらいの年齢になってきたけど、この頃はいろんなことに悩むぐらいで良いのだと思うぐらいには枯れてきた。傷ついたとしてもメンタルには回復するだけの復元力が満ちてるし、変な癖がまだついてないからちょっと修正してやれば今後の人生でもうまく行くように教えてあげることもできる。


歳をとると、思春期の頃のように傷つきやすい感受性というのは失われてしまうものだ。これは創作や芸術などをやる人にとってはひょっとしたら壁になるかもしれないけど、生きる上ではちょっとやそっとのアクシデントでは傷つかなくなる。この感受性が失われて鈍感力が強くなってくる状態というのは、生活をする中では細かなことで傷つかず随分と楽になる。


おっさん・おばさんになると無神経になり、周りのことに頓着しない態度になってしまうのは分かるだろう。あれは周りの人はむかつくかもしれないが、人生も長く生きてるとそういう戦略で生きた方が楽なのだというのがわかってしまうのである。


いつまでも周りのリアクションを気にしながらビクビク生きていても、世間からの要求というのは際限なく無限に続くものだしダブルバインドの要求というのも沢山ある。全ての人から褒められようとして八方美人に生きたとしても、どうせ陰では悪口を言われている。


そういう人の陰口であるとか軋轢のようなものは気になるかもしれないけど、どうせ他人の思惑は考えても無駄である。自分以外の他人の行動を完璧にコントロールはできないし、するべきでもない。基本的にこの世界の中でコントロールできることといえば自分の考え方や行動ぐらいのものであるし、それすらも思い通りにはいかないものなのだ。


なので、社会を生きていても他人の思惑には頓着せずに「人は人、自分は自分、されど仲良し」という風に生きてくのが戦略としては有利なのである。「自分軸」という風な言葉もあるけど、これはスピリチュアル系の方で随分と歪められて使われてるのであんまり好きではない。ようするに自分は自分であるとちゃんと自立して生きることが重要であるということだ。


歳をとってある種の諦観というのが身についてくると、自分のフレームを通じて世の中に対するある程度の定見というのが身についてくるものだ。若い頃に感受性が強くていろんなところにぶつかっている状態というのは、そうやって色々と試行錯誤をすることで世の中を生きる考え方を身につけるためである。


40代というの人生もすでに半ばである。走り幅跳びで言えば、踏切を踏み切って高く飛び上がり、放物線の最高地点を通過して着地点に向かって落ちていく段階である。自分がどれぐらいのことがやれるかというのは見えてる状態であり、自分の限界も分かっているはずである。そんな中で自分のスペックを超えた他人の期待までは背負えないというのも分かるはずであり、それを躱わすだけの処世術も身についている。僕は鈍感力というのはそういうものだと考えている。

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