超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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文章の書き方に存在するヒエラルキーには反発を覚える。

文章の書き方に存在するヒエラルキーには反発を覚える。


今日は午前中は母親を病院に連れて行ってきて、そして午後からは図書館に行ってニュースレターを書いたり週報を書いたりしていた。


図書館通いについては密かに自分のルーチンに加えたい活動の1つである。自分の情報源についてはネットからの情報よりは書籍を中心にした情報収集をできるようになりたいなと考えてるんである。かつてはネットの方が情報のエッジが立っていておもしろい情報が多いと思ってる時期があったが、ある時からネットの情報にはノイズが多すぎて使い物にならないと幻滅した。それと、読書猿さんの「独学大全」とか荒木優太さんの「在野研究ビギナーズ」などを読んでみて図書館で独学を進めていくことの凄さみたいなもんを学んだからである。


しかし、今日は何となくメンタルの調子が良くない。どれか適当にテーマを選んでぶれさせず1つの記事を書ける気がせず、今回の記事は手抜きのフリーライティングで仕上げてしまいたい。僕のブログの品質というのは僕のやる気に左右されるので、やる気がない時はテーマがブレブレのよくわからんごった煮エントリーができ上がるのである。


最近、小説を書くということで「ライティングの哲学」を再読している。こちらの本は文章の書き方の本としては異色であるが、どうも僕のような文章を書くことに執着してるタイプの人間にとってはおもしろいことが書かれている。


文章を書くということは、色々な種類の書き方があるけども、思考が生み出すカオスに対してある程度の制約を設けることで規則性を持たせることがすべてではないかなと思う。


一般的には、文章が書けないと悩んでる人というのは、自分の想像している執筆のレベルに対して実際に自分が手を動かして出力される完成品の品質が低くて、それで自分に失望するのが嫌で最初から手を動かしたくない人がほとんどである。


僕も大学で書かされるような小論文とかレポートではそのような悩みを持ってる学生であったけど、社会人になってブログを書き始めて今では文章を書くのが趣味である。どうも、世の中の人というのはある程度以上の長文というのはやむにやまれず書かされるものという認識であるらしく、楽しいから文章を書くという趣味の人間というのはレアケースであるらしい。


僕はブログでこうやってフリーライティングの文章ばかりを書いてるけど、一応はちゃんと単なる思いつきだけではなく文章の構成を考えたようなパラグラフライティングで書いてるような文章も書けなくはないのである。いっときやっていたnoteでの文章というのは、そんな感じでちゃんと構成を考えて意味を伝えるための文章を練習しようと思って書いた文章である。


こちらのブログで毎日書いてる文章というのは、日記の延長線上の文章というか、今日ブログを書いてる時に考えてる思考のスケッチである。思いつきを一発勝負で全部キーボードに一筆書きで書き連ねてるだけの文章なのだ。


普通に考えて、そのような書き方で書かれた文章というのは書いているテーマが一貫しなくてごちゃごちゃした文章になる。勢いやエモさは出すことができるけど、読んでいて分かりやすい整理された文章にはならない。なので、個人のブログの用途ぐらいではフリーライティングでも良いけど、多くの人に読まれることを前提としている文章ならばこの書き方は悪文である。


人に読ませるための文章を書くならば、まずは最初に書きたい内容を箇条書きにしてそれを整理して清書するという風な基本的な小論文っぽい書き方が必要になってくる。その過程で色々なルールというのも存在しており、世に数多くある文章読本というのはそれらのマナーを説明する種類の本もある。とくに出版で流通に乗せるための文章であるとか、大学での研究論文のような文章では前提条件としてそれらの文章のルールをしっかりと守ってる必要があり、それだけで1つのヒエラルキーを形成してると言っても過言ではない。


どこかでこの文章のルールに従った書き方を骨の髄まで叩き込まれた人たちは、文章を書くことは辛いことであるとか恐ろしいことであるという固定観念に縛られている。ヒエラルキーが上の方の人たちというのは素晴らしい文章を書くもので、そこら辺のブログであるとか適当に書かれてる文章というのは価値のないものという認識である。なので、執筆というのは苦しみながら書き綴るものであるというのが常識になっている。


僕もまぁ、そういう正しい文章の書き方であるとかテクニック優先の世界があることは知っているのであるけど、正直言って「クソ喰らえ」なのである。そういうお行儀の正しい書き方で書かれた文章で表現されるものが質が高くて、自分の思うことをただ素直に書いた文章の方が質が低いというルールを勝手に設けてる連中というのは、そうすることで自分の既得権益を守ってるようなタイプばかりであるし、いちいち自分が趣味で書く文章にまでクチバシを挟んであれやこれや言われたらトサカにくる。


なんでまぁ、ブログで書いてる文章については方針を改めるつもりはない。僕は自分が文章を書くのが楽しいからブログを毎日書いてるのであり、それでできた文章の価値というのは自分にとっては貴重なものである。そこんところから自分の思考パターンとかを面白がってくれる人がファンになって読んでくれたらいいけど、わざわざお役立ち文章を書くことで人気取りを始めたら僕も終わりですね。

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