超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕がブログを書いているのは相当な覚悟の上である。

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今日はね、保育園の同窓会に行ってきたんすよ。まぁその頃の先生なんかに会って懐かしい気分になったのはあるんだけど、そんぐらい時間が離れてしまった相手には共通する話題もないもんなんだなーと思った。


僕も相当にシャイなタイプなんで、しばらく会わなかった人にいきなり親しげに話しかけるほどのソーシャルスキルは無いんだけど、出来る人はまぁ出来るっぽいんですわ。そもそも同窓会というのは人によってはNGワードに含めるほどの禁忌の言葉である。それまで磨いてきたソーシャルスキルが一気に明らかになる時である。僕はそういう機会をそれほど意識しなかったタイプらしい。全くもって困ってしまった。


別に僕は揶揄しようというわけではない。ああいう場で一気に主役に立ててしまう人物はどういうような人生を送ってきたのであろうかと、純粋な疑問が湧いているだけである。なんかさ、出会ったばかりの人々の主導権を握ってしまえる人がいるじゃない? ああいうのはどういうスキルを身につけると出来るもんなのか疑問に思っただけ。


僕は、実際会ってみると無口なタイプだと思う。他人から必要にされていると思えないと喋らないタイプである。まぁ、場の雰囲気が重くなっているな~と感じた時におどけてみせるような、中途半端に気を使いすぎるタイプである。


対人パターンがその後の人生を全てを決める事ではないとは分かりつつも、出来なきゃ出来ないで悩んでしまう程度に向上心は有るタイプである。なんだろうね、こういう対人関係のパターンはギフトになるぐらい人生に格差を与えるよね。僕も思春期の頃は、対人関係で悩みを抱えてしまう程度にコンプレックスがあるんで、そういう悩みがないタイプは羨ましくなる方だ。


だからと言って一人でテンションを上げて悪目立ちするのはまた違うものではあると思うんだけどな。僕が求めているのはああいう場で器用に立ち回る計算高さを抱えていることは否めない。その後の人生の中で有利になるような人脈の築き方を考えてしまうような、計算高いところがあるだろう。


そういう人間関係を思うがままにコントロール出来る技術って、老成するほどかなりのスキルを積んだ人じゃないと出来ないよ。僕もまぁそれなりに修羅場をくぐってキャリアを積んだつもりではあるが、こういうものってのは才能と経験が輻輳してできるものであるからしてちょっとした努力程度では越えられない壁でだな。


まぁこれはいいや。僕もまだ経験不足だなってことが分かっただけだ。こういうので悩むんであればまだ改善の余地が残っている。人生ってのは奥深いものだね。


今日の本題はお題を使う。


今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

はてなブログ6周年!

今週のお題は「私がブログを書きたくなるとき」です。

あなたは、ブログをどんなときに、何をきっかけに書き始めますか? 140文字に抑えきれない思いをつづりたくなったとき、新しい気づきを仲間と共有したくなったとき、寝る前に1日を振り返ったとき……。 あなたの「私がブログを書きたくなるとき」を教えてください。皆さまのご応募、お待ちしております。


僕がブログを書く時というのはルーチンであって、書けないという悩みはないのだ。毎日、22時の定時には2000字を書くというのがルールであって、そこに疑問を挟む余地は無いのである。


色んな人のブログを書く習慣をみていると悩みながらブログを書いているようだが、ただ毎日文章を綴るということにそれほどの重大な障害はあるものではないというのが僕の感想である。書くのに疑問を挟むほどの余裕を持っていると、書けるものも書けない。


僕は感性が人より劣っているというコンプレックスがある。どうも鈍感なところがあって、人が気づく所を気づかない。


これは創作活動をする上では大きなギャップである。他人が感じるところを感じない訳であるのだから、共感を取るための表現がズレているということを示している。感性が一般受ける所と違う所にあるのだ。これで万人受けする文章を書くことはできないだろう。


そのギャップを埋めるために毎日文章を綴って勉強している。ブログを書くことは他人に対して、共感を持たせることでないと対してリアクションを得られない。ここで、自分の社会に対する感覚を測っているのである。


僕が文章を描きたくなるという時は、衝動的ではなくてあくまでも計算づくの所がある。このブログであっても、小説で書く文章の練習であって、書いている内容ってのはあまり内心に触れる事がないように気を使っている。ここで書く文章は技術に拘ったものであって本心からのものではないのである。


今後の課題なんだけど、本当に思っている事を、文章まで昇華できる練度を身に着けないといけないと感じているのだ。薄っぺらい表面上の表現ではなくて、一撃で骨を断つ、重い本心の一撃を文章に込められないかと思っているのだ。


僕は、文章に対する訓練としてブログを書いているのである。心技一体で、感情をセンテンスに込めた、魂の一撃を綴れないかと思っている。


文章に全ての思いを込めるってのは一生モンの勉強だ。今まで世に出てきた全ての作家たちがそれを実現しようとして出来なかったほどの難易度を誇るほどの難易度である。僕は、その領域に辿り着こうという蛮勇な思いでずっと文章を綴り続けているのである。ブログは感情を綴るのに適した場所だ。僕が「ブログを書きたくなる時」は、自分の文章を不完全だと思ったときである。これはまだ自分の進化にのびしろがあるということだ。僕はまだ知らない領域にたどり着く為に文章を書いているのである。


こういう心境で文章を書いている奴は少ないとはおもうけど、少なくとも僕はそうだ。僕がブログを書くということは、全世界の物書き全員に対する宣戦布告である。


こういう覚悟でもなければ文章を書き綴ることができるものか。

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