超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕は普遍的な価値のある文章を書きたいね。

僕は普遍的な価値のある文章を書きたいね。


毎日ブログを書くと、そりゃあんまり書く気が起きない日であるとかネタが見つからない日などが出てくる訳であるけど、そこんところをうまく工夫して書いてしまうために自分自身の気分の持ち方を変えてしまおうとしている。ブログを書くのが面倒になってしまう理由としては、ええカッコしいをして自分を賢い人に見せたり良い人に見せようと小賢しいことを書こうとするから書けなくなるのである。ブログを書くときは本当に思いついたことだけをダダダっと書き散らしてしまうぐらいでよろしいであろう。無論、文章構成がめちゃくちゃになってしまえば読んでくれる人がいなくなるし、自分自身が読んでいてもイラついてくる。そこんところの最低限の文章の綴り方などはマスターしてしまって、自分の思うところを自由に書いてしまうのが、僕のブログのあり方としては良いのではないかと思った。


などと、自分のブログのあり方をしょっぱなから自己分析して始まった今日のブログであるのだが、最近、どうにもブログがスランプ気味であるよなと思うのである。ブログを書く段階においても何を書くか決まらずに、ダラダラと1000文字ぐらい書いてからようやく勢いがついてくることがよくある。僕のブログの書き方で気をつけていることは、ひとまず1つのエントリーで「なるべく」1つのテーマで収めてしまって話題がブレすぎないように気を付けてはいるのだけど、序盤の勢いをつけるためにダラダラと書いた文章で話がブレまくることもよくある。


僕は文章を書くのは好きだけど、自分の文章はそこまで器用でかっこいい文章を書けるタイプだとは思ってない。普段書いているブログというのは、ひとまず時間になったら2000字ほど書いてしまおうという習慣でできている文章であり、何かしら自分の意図したことをしっかりと伝えるために書かれた目的のある文章ではない。その時の気分で適当に思いついたことをダラダラと流し書きしている思いつきの文章であり、毎日の更新で何かの価値を積み上げられるような内容ではないだろう。


もし、このブログで何かの利益を得たいだとか人から注目されるような有益なブログにしようと思うのであれば、ある程度の話題の方向性の軸のようなものを持って、日々その軸に沿って話題を掘り下げたりだとか広げたりだとか有意義な情報を発信せねばならないと思う。しかし、僕はそういうのを「しゃらくさい」と切って捨てるような人間である。


一時期、ブログで金稼ぎみたいなブームが来て、「人が読んで役に立つブログじゃないと意味がない」と、臆面もなく発言するような人たちがたくさん溢れている時期があった。結局、そのような人たちというのはブログオワコンになってブログで稼げないようになるとあっさりとブログ文化を見捨てて、また稼げる商材を探してどこかへ去ってしまった。


僕は、ブログ文化が始まったような本当に初期の時期からブログを始めて、それからブログで金稼ぎブームが来たときもダラダラと稼げないブログを続けて、そしてブログオワコンの後もしつこくブログを続けている。世の中の移り気な人たちの川流れを見ていると、諸行無常というか資本主義の無節操さにうんざりするところもある。


ブログブームの時、稼げないブログは意味がないみたいに、イキった意識高い系が鼻息荒く自分たちのブログのやり方が史上最高だ! みたいなノリで自分たちがいかに素晴らしいのか自画自賛をしてるのを眺めていたのだけど、そういう人たちがネットに残していったのって、粗製濫造のいかがでしたかブログをネットに大量に撒き散らしてネット検索を使い物にしなくして、世の中の正しい情報を見えにくくしたぐらいだ。彼らは自分自身でブログの信用というのを損ねてブログをまじめに読む人を少なくして、一番割りを食ったのは普通にブログを書きたかったユーザである。


僕のブログ金稼ぎブームに対する恨みというのは骨髄なので書こうと思えば1万字ぐらいは書けてしまうのだけど、そんなものを読まされる読者諸氏の方がたまったものではないのでこれぐらいでやめておこう。


普通に、スローにブログを書くことが好きな人というのは、ちゃんと自分の軸がある人ではないかなと思う。自分の軸があると言えば聞こえの良い話であるけど、言い換えれば自分勝手な人である。


他人が何をしてようがどうでもよくて、自分のやりたいことを自分勝手にやってれば満足できるような人が今でもブログを書いてるのではないかと思う。少なくとも自分はそういうタイプであり、ブログオワコンだろうが流行りの情報発信が別の媒体に移ろうが、自分が書きたいからブログを書いてるのである。でも、何かしらちゃんと物事を続けられる人間というのは、そういうコンサバなタイプというか、他人からどう思われようが好き勝手行動するタイプじゃないかと思う。


僕自身の勝手な願望が混じった推測であるけども、後世の歴史の残るような記録というのは、こういう暇人がだらだと気散じに書いた随筆のようなものが案外残っちゃうもんじゃないかな。後世の人たちも別に「最速で稼ぐ5つの方法!」みたいなもんは強いて読みたくもないでしょ。僕は普遍的な価値がある文章を書いてみたくあるものだ。

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