ブログを書けない時はブログ論。
昨日はまじで調子悪かった。
昨日は調子悪かった。朝ブログを書いた段階でなんか変な不調が発生していたのだけど、仕事もなんか集中出来ないし、車を運転していても勘が働かずに煽られたりと散々だった。
この一日の調子の悪い状態が朝にブログを書けないことから発生しているのか分からないけど、これはちょっと対策を考えないといけないなと感じた。どうにもまぁ、バイオリズムか睡眠不足か、そういったもので調子を崩している可能性が高いけど。
ブログに関しては、書けない時は1000字ぐらいで終わらせる勇気を持とうと思う。自分は毎日2000字は必ず書くと決めて、実際そのとおりにやってきた。でも、どうしても2000字書けない状態で無理矢理にアウトプットしようとして苦しむことがある。そういう状況ではさっさと1000字ぐらいでも終わらせた方が良いだろう。
今日も特に書くべきことが思いつかないのだけど、精神がエアポケットみたいな微妙なところに入り込んでいるなと感じる。書けないならば書けないということをテーマにして書くことが最適解というのは、長年のブログ運営経験で分かっている。ネタのように思えるかもしれないけどこれはマジである。
「ブログを書けない時はブログ論」。これは昔自分が言ったことであるが、蓋し名言だ。
ブログ論はブログを書いている人なら誰でも書くことができる。嘘じゃない。本当だ。ブログを運営している人は誰しも一人ひとり一家言持ってるものだし、それを書き連ねるだけで記事になる。僕もこれが得意で、カテゴリ「ブログ」ではブログ論をガリガリ書き連ねている。
ブログ論は何も書けないときに書くテーマとしては面白い。ブログを書けないのは何故か自分に問いただして、その疑問それ自体がネタになってしまうのである。自分の中に切り口を見つけることができるし、周りから見る人は悩んでる人は見ていて面白い。
どうも今日も調子が悪いらしい。
なんかさ、朝5時に起きて2000字書くことが習慣化できてると思ってたのだけど、ここ最近は書こうと思いつつも何も書けず2000字を埋めているだけだった。ブログを書いていても楽しくない。スランプだよ。
ブログは別に義務感で書いているつもりはないのである。毎日楽しいから書いている。つもりだったんだけど、毎日更新の記録が積み上がっていくに従って義務感が発生しているんだろうなーというのは分かる。
やー、まぁあるあるだよ。ブログを書き始めたビギナーであれど毎日書き連ねている人であれど、毎日書こうと思うと義務感が発生してきて書くことが無くなって辛くなってくるもんだよ。こういう時は、バッサリと休んでしまったほうがゆとりをもって書くことが出来るんだけど、僕の場合、毎日書くことがアイデンティティにまでなってしまってるので、毎日更新を辞めるのは死ぬときだと決めているんですよね。
ブログを毎日更新する事がマストだというならば、せめて楽に書けるように工夫はするべきだろう。書けない時は1000字ぐらいで撤収することも含めてさ、書き方を工夫する必要があるよね。
たとえば、記事を書くときに引用を増やすとか一定の型を持つというのは良さそうだ。
小難しいことを書かずとも体調が悪いだけだよね。
なーんか、調子が悪いんだと思う。最近、仕事が週5の勤務に戻っていて睡眠不足も感じているし、わりかし無理をしているんだろうなーというのは感じている。こういうときまで趣味のブログで無理をする必要はないよな。
ブログを休みますーと宣言して、1行ぐらいで終わっても別に何も困ることはないのだけど、どうも自分の義務感がそれを許さないみたいなんですよね。昨日、こんなツイートをした。
プレッシャーに押し潰されるぐらいなら惰性に流された方がいい。
— ゆきにー@雑文書き (@yuki_20211) 2021年6月21日
兎角、自分は強迫観念が強いのよな。
ほんとさ、自分は行動のベースが強迫観念なんだと思う。〇〇せねばならぬーとか〇〇しないといけないーとかそういうことを口走りながら色々と無理をしつつ生活している事が多い。こういう見栄を張ったとしても、見せるべき相手も特に居ないしやせ我慢をしているだけなんだよね。
毎度毎度、何か新しいことをしようとする必要もないのだと思う。自分が楽だと思う行動があるのならそれを惰性で繰り返したとしても、それに気がついて怒ったりしてくるのって、他人が楽するのを許せない暇人ぐらいのものだ。
自分の中に一定の基準を持つことは必要なことであるけどさ、それが厳しすぎるのであれば生きるのがしんどくなる一方である。勝負するところは自分でちゃんと考えて決めて、それ以外では抜くところは抜くのは、大人の生き方としては必要なことだと思いますけどね?
まとめ
つらたん。