超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ブログで書いている文章の文体を改める。

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ブログで書いている文章の文体を改める。

自分は悪文を書いていた。


自分は文章を書くのが好きだ。書いた文章が上手いかどうかと言うと、別問題である。むしろ、自分が書いている文章は悪文の類だと思う。


なんかさー、ブログをひたすら毎日更新しているのは、文章を上達する目的もあるのよ。それで文章がうまくなったかどうかと問われると、文章を書くこと自体は慣れた。自分が考えていることを勢いよくドバドバと書くことはできるようになった。けれども、書いている文章は、自分用のメモの延長上みたいな代物しか書けない。人に読まれる文章ではないなと強く感じている。


ひたすらしつこく毎日書いてるんだから、文体も色々工夫してはどうだろうか? そう考えることも多い。だけど、僕はアウトプットに熱心なわりには文体研究などには興味が薄く、いつも手癖で同じような文体を書いてしまう。


文章を書くこと自体も研究してはどうだろうかと考えて、文章読本を購入している。けれども、読んだとしても感心してその場で終わりで、それを自分にインストールしようとしない。


日本語の文法を勉強するのも、英語の文法を勉強するのも、同じようにグラマーを習得する必要がある。僕は、語学がそれほど得意ではない。学生のころも、科目の中で苦手な科目は、数学と、英語であった。おそらく、学問としての求められる認知の動きが、それほど自分と合ってないのだと思う。


僕が得意なのは、倫理や現代文である。これらはちゃんと文章を読めば、文意の流れで大体の意味がつかめる。それに引き換え、数学と英語は、公式を暗記して、それに当てはめて概念を操作しないといけない。僕が、英語と数学が苦手なのは、そのような概念操作をする認知の働きに向いてないということもあるのかも。


なにはともあれ、僕は文体研究をするために文章読本を買って読んでいるのである。そうやって文法の勉強をしているのに、まったく実践で試さないのは気恥ずかしさもあるだろう。


昨日まで、厚顔無恥にも悪文を書いていた男が、今日から妙にこざっぱりとした文章を書き始めたというのは事件だ。これは、昨日までこざっぱりとした頭髪をしていた上司が、ある日突然、ふさふさになるぐらいの事件だろう。いや、実際にその現場に居合わせてはいないが、共感性羞恥で死にたくなるぐらいの大事件である。


僕は、これからブログでそういう恥晒しをすると申しているのである。結論に至るまでに、回りくどい言い回しをしてる自分の文体を改めて、すこしは分かりやすい文体を目指していこうと言いたいのだ。

文章を書く上で気をつける点。


最近、次のような文章読本を買った。



文章読本にも、色んな傾向の本がある。上記の本は、必要な情報が章ごとにちゃんとまとめられて簡潔で良い本だった。文章読本100冊の中で共通した項目をまとめて、それをランキング形式にして紹介している本である。


まだ、この本は読みかけなので、読了したらブログでも紹介するかもしれない。気が向いたらだけど。でも、読みかけでも、この本は文章法を身につけるために有用な本であることがわかる。


ランキングの上位7件をまとめてある、第一章を読むだけでも勉強になる。第一章では次のような事が書かれていた。目次の見出しだけ引用する。

  1. 文章をシンプルに
  2. 伝わる文章には型がある
  3. 文章も「見た目」が大事
  4. 文章はかならず「推敲」する
  5. 「わかりやすい言葉」を選ぶ
  6. 比喩・たとえ話を積極的に使う
  7. 接続詞を「正しく」使う


文章をシンプルに、というのは、全く自分が気を使っていなかった事柄である。この章では、一文は短く60文字ぐらいに短くまとめろと書かれていた。僕が、今回のエントリーで気をつけているのもその点である。


僕のブログの、熱心な読者諸氏であればご存知であろうが、僕の書く文章は一文が長い。ひたすら接続詞をつかって、だらだらと意味をつなげて一文を長くしていく書き方をする。


これが僕の文章の持ち味だー、などと強弁することもできるが、ちょっと分かる人には恥を晒しているだけである。というか、画面をおもいっくそ黒くして書いてもいるので、目が滑って読むのが大変な悪文だろう。


僕は、テキストサイト文化の継承をしたい、というモチベーションのもとで書き物をしている。なんか、文体の癖が、その人の持ち味と勘違いしているフシがあるようだ。個性的な文章を書ける人になりたいと思ってるのだが、リーダビリティが低い文章は読みにくいだけだ。

まとめ


守破離という考え方がある。人によっては、決まった型にはまると個性が殺されるという人もいる。しかし、型にはまらない自意識は見るに堪えない。


僕は、色んな素人の小説を読んだりもする。つまらない小説というのは、型から一ミリも外れず冒険してない作品か、型からはねっかえってるだけでまとまりがない作品である。どちらも型に囚われて自分というものが表現できてない。


文章というのは型にはまった上で、その枠内で自分を表現しようと試みる必要がある。型を知り、型を習熟した上で、型から離れていく必要があるのだ。


ひとまず、自分は型をちゃんと学んで、その中で何かをつかめるか試してみよう。

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