超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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インターネットはユートピアな社会はもたらさなかったな。

インターネットはユートピアな社会はもたらさなかったな。


今日はやる気がさっぱりと起こらなかった。中途半端にネットに刺さってしまい、仕事の進捗はそれほどでもない感じ。


なんというか、ネットというのは時間食い虫ではあるけど、そういうことを考えてるのは自分だけではないのだろうなと思う。ネットをフラフラしているとビル・ゲイツがインターネットへの失望を語ってるこんな記事を見つけた。


www.businessinsider.jp


要約するとこんな感じ。ゲイツ氏は、インターネットが普及し始めた頃、それが世界を事実に基づいた合理的な場所にすると期待していた。しかし、実際にはインターネットが偽情報や「クレイジーな考え」の道具になっていることに気付き、失望を表明してる。ゲイツ氏は、若い世代が現在の「偽情報」問題を解決するのに十分な創造力を発揮することを願っているとも述べている。


こういうのはゲイツ氏だけに留まらず、日本でも「ウェブ進化論」などを書いてインターネットに強く希望を持つことを書いてた梅田望夫氏が、現実のWebの惨状を見て本音を述べると炎上するようなことがあった。


ウェブ進化論」と対比する形で中川淳一郎氏の著作で「ウェブはバカと暇人のもの」という書籍もあったけど、どうやら現実のWeb世界の進展を見ているとそちらの方が真であったらしい。


珍しく社会派な切り出しで始まった今日のブログであるが、そこまで深い考察はできない。僕自身がネットクラゲとして20年近くをインターネットのさまざまなコミュニティに参加しつつ漂ってきた感想としては、「現代社会というのはインターネットを使いこなせるほどに文化的に成熟してない」。近年、社会で起きてるさまざまなポピュリスト政治家の出現や社会の分断の問題の原因としては、「SNSによる人々のつながりすぎ」が主な原因だと思っている。


文化人類学の考え方で「ダンバー数」という概念がある。このような意味だ。

ヒトを含む霊長類が、互いを認知し合い、安定した集団を形成できる個体数の上限。1993年に英国の人類学者ロビン=ダンバーが提唱した、霊長類の脳を占める大脳新皮質の割合と群れの構成数に相関関係があるという仮説に基づく。ヒトの場合は平均150人程度とされる。

出典 小学館デジタル大辞泉より
ダンバー数(ダンバースウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク


基本的に霊長類のコミュニティでは一人の個体が識別できるのは150人程度までとなっている。しかし、現代のTwitter(X)やその他のSNSでのコミュニティでは、フォロワーが150人というのは少ない方だ。一人の人に数万人というフォロワーがついたりもするし、人々はつながるフォロワーやいいねの数を競い合って多くの人とつながることを推奨される。


それほどの数千数万の人々と繋がったところで、ほとんどの人々の顔は数字にしか見えず、その人間の持ってる性格であるとか生活などの背景までは見通すことができない。ガヤガヤとしたデジタルの雑踏は、その人格というのも全て情報に変換されており、その人が持っている人格などは無視されて全部数字になる。


SNSというのはコミュニケーションツールとされているが、実際のところそのツールを通じて人とのつながりを持ってコミュニケーションをするよりも、下世話なゴシップ情報であるとか暇つぶしの情報で時間を潰すためにしか使われてない。多くの人たちはそれらの得られた情報で生活を豊かにするために利用するというよりは、単に脳内麻薬を活性化させて快楽を得るためにしかインターネットを使っていない。


冒頭のビルゲイツ氏の記事の話に戻るけど、インターネットというツールが生み出された時にゲイツ氏が期待してることとしてはインターネットで網羅的に情報が得られることを利用して「ソクラテス的問答」をできる人たちが増えることを期待していた。このような牧歌的な理想主義というのはインターネット黎明期には多かった。上述した梅田望夫氏にしても「知の高速道路」というように、インターネットを通じて学習をすることで高度な人材が多く生まれてきて世の中が良くなると信じていた。


この辺りは長年ブログで情報発信をしていて感じることであるけど、結局のところ、日本では2chのような匿名文化からネットのコミュニティというのが発生したのが良くなかったのかなと感じる。ネットをフラフラしてると良く見かけるのだが、他人の意見の揚げ足どりばかりをして本人は匿名で発言の責任を全く持たず、苛烈な言説をしている割には本人の特有な意見はなく、どこかからの借り物のイデオロギーばかりを主張してる匿名ユーザーというのは無視できないほど多い。


インターネットという革命的なツールを与えられても結局、人類は暇つぶしの道具にしか使えなかった、という結論にするのはあまりにも悲観的だろうか? 中には創造的な人々がインターネットをうまく活用して世の中に情報発信を行い同意を集め、それで世間にムーブメントを起こすような人もいる。こういう言説というのはあまりにもエリート主義っぽくて嫌なのであるが、今のネットって繋がらなくて良い人たちまでつながっていらん摩擦が起こりまくってるだけの気がする。僕は人間の本性に対しては性善説を採用するが、社会を統治するためには性悪説がよい。誹謗中傷などに対する法整備などをしっかりやるのが重要だと思うね。



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