超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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もう、弱音は吐かないようにする。

もう、弱音は吐かないようにする。


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んー、もう何もいう気しねぇ。や、とくに何かまずいアクシデントが起きてるって訳じゃないのよ。どうもここんところのストレスのせいか、心の燃料切れを起こしてるような感じでなんか軽く鬱状態なのよ。


色々と考えたりするけど、考えたところでもうどうしようもない感じなんだよね。今の状態というのはなんか思考がものすごく卑屈で、発言する内容が全部自己卑下になりそうでわざわざ人の目が触れる場所でそんなこと書くのもなという感じ。


瞑想のおかげかそういう思考とも距離が取れてるんだけど、もう僕は疲れた。人生がままならんことは知ってるが、いつも向かい風に立ち向かってる感じでずっとまったく好転しないのには流石にうんざりした。


はい、ここで終わり。ここんところのブログの書き出しは全部愚痴だよ。いくら僕のブログがフリーライティングで書いてるブログであると言っても、毎回人に心配をかけるようなことばっか書くのも人の好意にもたれかかりすぎだ。僕のブログでは愚痴を書いたとしても結論はポジティブなことに結びつけるというマイルールも存在してるけど、これも程度の話だよな。流石に毎回書き出しが愚痴というのも人の目を気にしなさすぎで、品位を疑われる。


これからはできるだけブログの書き出しでは愚痴は書かないようにしよ。僕は本を読むときにマーカーとかを引いてそれを自分のメモに抜書きする習慣があるんだけど、それでいろんな本から自分を奮い立たせる言葉を集めてる。


浅田次郎さんのエッセイの中で気に入ってる言葉があるんだけど、「愚痴は言わない、嘘は付かない、見栄は張らない。」それらは口にすることでエネルギーが逃げるという。それはマジだ。


人間というのは使ってる言葉で性格が形作られる。普段から口にしてる言葉というのはその人の本質を端的に表している。


どれだけ着飾っていようが言葉の端々で人を馬鹿にするようなことをいう人というのは、その人の程度はしれているものであるし近寄らない方がいい。


また、本音と建前という風な区別があって、本音的なものが素晴らしいという世間の評価もあるけども、場所をわきまえずに人を辟易させるような放言しかしない人にも近寄らない方がいい。それぞれの場面で適切なマナーを守るというのも周りの人に対する思いやりであるし、TPOもわきまえずにいつも自分勝手な発言をする人は思いやりがない。


内面の方で優しさがある人だとしても、いつもぶっきらぼうな物言いしかできない人というのも気をつけた方がいい。人間というのはテレパシーのように考えてることが100%伝わるコミュニケーション手段があるわけではないので、伝達が失敗してディスコミュニケーションが発生することもある。


それと使ってる言葉が一番響くのは自分自身というのが一番重要。普段から使ってる言葉というのは自分自身の考え方に強く影響する。マザーテレサの名言で次のような言葉がある。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。」

「言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。」

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。」

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。」

「性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」


人間というのは使ってる言葉通りになる。たとえ本心でなくても汚い言葉を使っていると、それが自分の内心に響き、自分の人格をその言葉の通りに上書きしてしまうことがある。言霊信仰というのは分からんが、人間の思考を指す記号として作られたのが言葉だ。その言葉に込められた意味は、それに関わった人間の思考に影響を与える。


だから、汚い言葉は使わないようにするべきだし、あんまり弱音ばっかりも吐かない方がいい。浅田さんの言葉でも言われてることだけど、たとえ本心でなくても人間は使ってる言葉通りの人間になる。弱音を吐くと口からエネルギーが逃げる。


人間が言葉によって形作られるものだというのなら、その使う言葉に気をつけたのならば自分を変えることもできるだろう。僕は日常的に文章を書く人間であるし、その中で使われる言葉に気をつけることで自分を変えることもできるだろう。


なんというかさ、僕はもういつも弱音ばかりの自分にうんざりしてるんだよ。自分の中の弱さというのを乗り越えることも許容もできずに、周辺部をうろうろして弱音ばかりを吐いてる自分が嫌いだ。男らしく、しっかりと自分の行動にも責任を持って、正々堂々と生きようとするべきだろう。


ある程度思考をしてやるべきことを決めたのなら、あとは黙って実行するべきだ。自分を信じるということが必要なのだろう。

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