超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

なぜか年末に人生を考える人がいる。

なぜか年末に人生を考える人がいる。


年末年始はのんびりできるかと思いきや、家族関係のやることでそれほど暇もない。ちょっと母親の墓をどうするのかというのを寺と契約してこないといけない感じであり、明日もまた外出して人と会わねばならない。


うちの母親に関しては脳出血で半身麻痺になっており、ある程度自分で行動することはできるのであるが、随分と弱っており、そこまで長くないだろうなって感じなのである。なんでまぁ、その時に備えて僕と妹で色々と面倒になりそうな仕事を片付けたりとかしている。


正直、この話に関しては随分とプライベートなことでもあるしブログで書くのもどうだろう? という感じでもあるが、僕も色々と悩んでることである。自分の今後の身の振り方だったりとか考え始めると不安になることばかりだ。どうにも人生がハードモードというのは分かっているのだが、いまだにキチンとした生き方というのがどんなことなのか分からんよな。


まぁ、わかっちゃいるのよ。人生を40年ほど生きてきて分かってきたことではあるけど、「未来のことを考えると不安になるし、過去のことを振り返ると後悔する。だから今この時に意識を集中して生きた方が楽」。その時その時にやるべき作業に全神経を集中させた方が迷いも無くなる。結果的に、今この瞬間に全精力を集中して頑張って生きたから難局を乗り越えられたという経験もしてきた。


すごい成果を残して成功者になったりとか自己実現することに対する憧れというのもあったのだが、人生も中年ぐらいの年齢にくると着地点というのが見えてくる。半生を振り返ってみるとどうにも負け犬人生であり、ここから大逆転というのもなかなかに考えにくいところであるなと思うのだ。


僕はある時から生きることの方針としては「お役に立てればよし」という風に定めてしまった。僕は幸いにしてこうやってブログを書き綴ったりとか、多少のプログラミングをやったりするような才能はあったようだ。この程度のスキルでは大したことはできないかもしれないけど、僕自身が毎日の記録を書き綴ったりとか知り得た情報を人に伝達していくことで、誰か困ってる人を助けることもできるのではないかと考えている。


自分がやれることを一生懸命やって、それで誰かの役に立てるのなら自分の人生には意味があるはずだと考えるようにした。僕自身が病気で死にかけてる時に医療関係者や福祉で働いてる人たちのおかげでなんとか社会復帰もして立ち直ることができた。こうやって人生のどん底を見て、そこからカムバックをすることができた経験というのはそれほど多くの人はしていない。


僕自身が今まで見てきたこととか考えたことを、キチンと言葉としてここで表現していくのも社会にとって重要なことではないかと思うのだ。いいことなのか悪いことなのか、最近では病気の頃を振り返ることも少なくなってしまい、日常の瑣末な出来事の方が悩みになる生活をしているけど、大局を見失わずに方針を持って生きるということも重要なことだろう。


来年は厄年の本厄だよ。今年を振り返ってみても仕事の上でも悩むことがあったりとか、家族関係でも悩むばかりなのであるけど、なんとかこの年齢まで生き残ることができた。


たまに同級生の話などを聞くことがあるけど、成功してる人もいれば早逝してしまった人もいる。僕自身としては一度崩れかけたけどなんとか社会に踏みとどまって残っている。


僕のこれからの後半の人生の生き方というのは、自分にやれることを探して一つつづしっかりとこなして行くような生き方をしていきたい。世の中のいろんなメディアの話しやいろんな人の言ってることを聞いてると、人生には賢い生き方であるとか近道のようなものがあるように思わされるけど、そんなものはない。


なんかさ、生きてると避けようのないクソ面倒なトラブルというのはどうしても発生してくるもんなのよ。いろんな物事にスマートに対応しているように見える人でも、そういう難事にはいろんな葛藤を抱えつつもなんとか折り合いをつけて一つづつ対応することしかできない。なまじ賢くて優れた人の方がそんな時には悩んで苦しんでしまうだろう。


どんなに才能があって優れた人だろうが、社会で大成功して認められた人だろうが、人間である以上は死ぬことは避けられない。いろんな宗教が死んだ後の世界というのを想像しているけど、死んだ後にあの世から戻ってきた人というのは居ないので結局、自分が死んでみないと何が起こるのかは分からない。誰であれ等しく母親の腹から生まれてきて、死ぬ時は何も持たずに一人で死んでいく。


終活ブームみたいな流行りもあるけど、人は賢くスマートに死ぬことなんてできないもんだと思うよ。結局、誰しもずるずると周りに迷惑をかけながら恐怖心を抱えながら土壇場までジタバタする。そこに理性の介入する余地なんぞないと思うし、現実に直面した時に自分が本当はどんな存在だったのかということに直面させられる。


この話に合理的な結論などない。僕自身の方針は語ることができるけど、「他人の目など気にせずに、今やれることに全集中して泥臭く生きる」。そして、どうせ一度は終わりかけた人生だからせめて縁があった人には何かギブをする人生でも送ってみようと思う。後悔しない生き方というのがどんなものかは分からんが、多分そんな感じなのだと思う。

プライバシーポリシー免責事項