
止まれない自分につくづくうんざりしてる。
今日はひとつ結論めいたことを先に置いておくと、「僕はブレーキが壊れている前提で生き方を組み直さないといけないんだろうな」という話になる。
なんだか朝から体調が悪くて、原因を辿るとだいたい考えすぎに行き着く。ここ最近のことをぐるぐる反芻して、結局いつもの場所に戻ってくる。過集中の問題、これどうしようもないんじゃないか、というやつだ。小説を書いたり、絵を描いたり、気づいたら限界を踏み越えて、そのたびにコロナに罹って体を壊したり、交通事故みたいなことを起こしたりしている。これがもう何度目かもわからない。
で、そのたびに「いい加減やめとけよ」と思うんだけど、これが止まらない。常々感じているけど、ほんとにブレーキが壊れている感じがする。アクセルは踏めるのに、減速の仕方がわからない。悩むこと自体はできるけど、じゃあそれで制御できるのかというと、全然そんなことはない。
タイマーを使うとか、誰かに止めてもらうとか、そういう話も頭ではわかる。でも現実には、そんな都合よく管理してくれる仕組みもなければ、人もいない。結局「どうすんのこれ」という問いだけが残る。考えたところでどうにもならないのに、考えることだけはやめられないあたり、なかなか厄介な構造をしている。
だから一度、専門家にちゃんと投げるしかないなと思っている。カウンセラーの先生に、この「やりすぎて壊れる癖」をどう扱えばいいのか相談してみるつもりだ。たぶんこれは単なる根性論とか習慣の話じゃなくて、発達特性みたいなものも絡んでいる気がする。継続力があると言えば聞こえはいいけど、実態は「ルーチンを止められない」というだけで、生活に支障が出るレベルまで振り切れている。
実際、毎回わりと死にかける。比喩じゃなくて、本当に生活が破綻しかけるところまで行く。それを「我慢して調整しましょう」でどうにかなる感じでもない。このへん、自分でも扱い方がわからない。
ただ一方で、この特性のおかげで毎日ブログを書き続けられているのも事実なんだよな、とも思う。集中しているときの推進力は確かに強いし、それ自体は嫌いじゃない。でも問題は、その最中に自分の限界に一切気づけないことだ。気づいたときには、もう手遅れになりかけている。
だから結局、「止める意思」じゃなくて「止まる仕組み」を作るしかないんだろうなと思う。無理やりでもいいから、外側から遮断するようなやつ。ただ、ここも考え始めると堂々巡りになる。AIに聞いても「タイマーを使いましょう」みたいな正論しか返ってこないし、それが機能しないから困っているわけで。
なので、しばらくは意図的に創作から距離を置こうと思う。絵も、小説も、プログラミングも、一旦ストップする。限界を超えてると自覚してるのに、そこからさらに予定を詰め込もうとする自分がいる以上、ここで一度リセットしないとまずい。
生きるって、ほんとめんどくさい。何度も同じことを思っているけど、こういうところでつまずくたびに実感する。創作でやっていこう、みたいな目標はあるけど、それで体を壊して、周りにまで影響を出してまで続けるものかと言われると、さすがに違う気がする。
自分を削って作品を作る、みたいな言い方は格好よく聞こえる。でも現実は、そこまでして作ったものが何か大きく評価されるわけでもないし、その一方で自分の受けるダメージは確実に蓄積していく。作品ひとつにつき体を壊していたら、さすがにコスパが悪すぎる。
いい方法があればと思って考え続けて、結局また体調を崩しかけている。このループもだいぶ見慣れてきた。
だからまあ、今日のところはシンプルにいく。まずはカウンセラーの先生にちゃんと話すこと。それから、この「やりすぎる癖」に対して、止めるための現実的な手段を一緒に探すこと。
ブレーキが壊れているなら、修理するか、別の止まり方を覚えるしかない。その前提に立つところから、やり直していこうと思う。