超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

ぐるぐる思考は外に開放するべきか。

ぐるぐる思考は外に開放するべきか。


今日は、体を動かすことと、内側に溜め込まないことはセットで考えたほうがいい、そんな話を書いておく。


昨日は正直ひどくて、朝からずっと自己嫌悪で思考がぐるぐる回ってた。人生どうこうみたいな、やたらスケールの大きい悩みばっかり頭に浮かんできて、ああこれはまずい流れだなと思いつつ、止められない感じ。だけど夜にジムに行って、インクラインダンベルプレスとかダンベルフライとか一通りやったら、不思議なくらい落ち着いた。結局のところ、体を動かすっていうのはかなり強力な精神安定剤なんだと思う。


これ、村上春樹が言ってた「辛いときは体に当たる」って話を思い出す。人や物に当たっても、だいたいロクなことにならない。でも自分の体に負荷をかける分には、ちゃんと自分に返ってくる。筋肉になるし、体力にもなるし、なにより気持ちが整う。どうせ当たるなら、そっちのほうがずっとマシだ。


ただ問題は、僕の性質がわりと自罰的なところにある。何かあると「全部自分が悪い」で完結させがちで、それで解決に向かうならいいけど、大抵はただ自分を追い詰めるだけで終わる。


大概において、だいたい「自分が我慢したらいい」で何もかもを抱え込み、そして限界まで溜め込んでパンクというのがいつものパターンだ。どこかで適時開放する癖を身につけないと自分が限界を迎えるな。


ここで最近よく考えるのがアサーティブコミュニケーションで、要は「自分もOK、相手もOK」の落としどころを探すやり方だ。


攻撃的に主張するのでもなく、かといって全部飲み込んで黙るわけでもない。その中間のちょうどいい位置を取る。これができると、ストレスの溜まり方が全然違うはずなんだけど、正直ここが自分にとっては鬼門だ。書くことはいくらでもできるのに、話すことになると途端に不器用になる。結果として、内側に溜め込んで、限界までいってパンクするといういつものパターン。


だから最近は「開放弁」を意識するようにしてる。ブログを書くのもそうだし、カウンセリングみたいな形で外に出すのもそう。とにかく、どこかで圧を抜く仕組みを作らないと持たない。理想を言えば、気軽に話せる相手がいればいいんだろうけど、そこを無理に作ろうとして逆にストレスを増やしたこともあるから、まあ慎重にはなる。


それでも、人は一人で完結して生きてるわけじゃない。自分が誰かの役に立ってることもあるし、逆に支えられてることもある。そう考えると、「全部一人でやる」っていう姿勢自体がちょっと無理があるのかもしれない。アドラー的な共同体感覚まで話を広げるとさすがに哲学っぽくなりすぎるけど、もう少し素朴なレベルで「人を頼る」っていうのは、たぶん必要な技術なんだと思う。


僕はそういうことにブログを使ってたりとかするけど、それだけじゃなく他にも人に話してスッキリするとかそういう方法も覚えたいところである。自分は全くそれができないからな。いい方法があるなら知りたいものだ。


体を動かすことと、言葉を外に出すこと。この二つをちゃんと回していく。それだけでも、だいぶマシに生きられる気がしている。


とりあえず今日も、溜め込みすぎる前にどこかで抜く。そういう意識だけは忘れないようにしておく。