超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

最近、良質なインプットをすることができてないなと思う。

最近、良質なインプットをすることができてないなと思う。


今日も10時ごろに起きて、家事諸々を済ませてカフェにこもって小説執筆を行なっていた。ここんところブログ書くのをどうするのか悩むよね。休日とか暇な余暇がある時間は小説執筆しかやっておらず、今の興味がある関心ごとも小説執筆ばかりである。しばらくはこんな感じで小説書くことについてブログに書いてることが続くはずであるけど、小説執筆についてブログを書くと、あからさまにアクセス数やスターの数が少なくて、自分以外の人は対して興味がないことが分かってしまう。別に個人ブログであるから自分の興味があることを書けばよろしいのであるけど、あんまり他所の人が興味がないことばっかり書きまくって独り言を呟くのも痛し痒しという感じである。


休日の過ごし方については微妙に悩むよね。最近は暇があればサウナに行ったりとかして疲れを癒すような休みの日を過ごそうと試みるのであるけど、できれば何かジムに行って体を動かすようなアクティブレストな休日も過ごしてみたい。ジムは行かねーから解約しようかなーと思ってるのだけど、相変わらず契約し続けて無駄金を使っている。なんか、せっかくだから休日にジムに行ってトレッドミルでアニメを見ながらランニングするのも良いのではないかと考えてる。


なんかさ、これは今日、小説執筆をしているときに感じたのだけど、何か面白い小説を書くためにはじゃかすかインプットをするべきじゃね?と思った。こりゃ、小説執筆に限らずブログ執筆でもそうだなーと思うんだけど、僕はインプット量に対してアウトプットの量が過剰ではないかと思うことが多々ある。


毎日こうやってブログを書いてはいるけど、それがおんなじ事ばっか書いてマンネリじゃねーか?というのは常々悩んでいる事である。このブログを毎日読んでくれている熱心な読者諸氏ならばご存知であろうが、このブログ、内容的にはおんなじような内容が度々頻出してくる。書いている僕自身であっても、「そういやこの話題、以前も書いたな・・・」みたいに思いながらブログ執筆していることがよくある。


まー、でも、毎日更新している経験則から分かってはいるんだけど、別にブログではおんなじようなことを繰り返し書いても気にする必要はないということは分かってる。ブログというのは書いてるうちに読んでくれてる読者というのも新陳代謝が発生しており、継続して書いてる僕にとっては同じような話題であれど初めて読む新規のお客様というのは結構よくあることなのである。こりゃまぁ、継続的に毎日更新している人限定の話ではあるけど、おんなじような話を繰り返し書いてるなと気になるのは、それほど重大なこととして気に病む必要はない。


それはともかく、僕はアウトプット量に対してインプット量が少ないんじゃないだろか?というのはよく思う。正確にいうと、もっと良質なインプットの量を増やしていかないと自分の成長につながらないのではないかと気にしているのである。


僕が日常的に外部から情報を収集するために行ってるインプットというのは、twitterやはてぶなどを経由して取り入れるネットニュースの情報が多いのである。これは、片手間でお手軽に大量摂取を行うことができる情報インプットではあるけど、情報の質としてはどんなもんかと疑問符がつく。ネットニュースというのは断片的な情報ばかりであるし、何かしら体系付けた知識を身につけるにはしっかりと書籍などから情報を摂取する必要はあると思う。


最近、新たに何か本を読むということを怠っているのである。僕は元々読書が好きな人間で、暇さえあればテキトーにkindle本を読んでたりとか図書館から本を借りてきて読書をしてたりするような人間であるのだけど、最近、なぜか知らないけど読書量というのが徹底的に減っており、ここ数ヶ月ぐらいは漫画すらも読書することをしてなかった。


小説を書いてみて思うのだけど、何かの場面を描写するときに、脳内にある表現の引き出しの数というのがものをいう。何か一つキャラクターの行動を表現するにしても、そのキャラクターの欲求、周りの環境、発生する出来事、それらのさまざまな要因というのは作者の脳内で持っている情報量によって左右される。いくら脳内に展開されている物語が素晴らしく芳醇なものであったとしても、それを表現するための脳内の情報量が少なければ平板なものになってしまう。表現だけではなくて、何かアイディアを発想するためにも脳内の情報量というのはものを言う。


なので、日常的な良質なインプットというのは、物書き属性の人間にとっては必要不可欠なものであると思うんだよね。別に何かしら難しい本ばかりを読むというのでなくて、軽い小説やエッセイを読むのでも構わないけど、体系付られた情報源からしっかりとインプットを継続するというのは物書き人間にとっては呼吸をするぐらい重要なことだよね。

プライバシーポリシー免責事項