超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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玲と真輝の小説の続きを書いていた。

玲と真輝の小説の続きを書いていた。


今日は土曜日であるな。朝起きて、風呂に入って、洗濯物を干したりとかの諸々の生活ルーチンを済ませた後は、タリーズMacbookを持ち込んでひたすら小説を書いていた。ちなみに書いてる途中の小説はこちらから読むことができる。ちょっと実験的にGitHubで小説をバージョン管理するということをやっており、日々執筆をおこなってこちらの方にコミットするということをやっている。


github.com


別に僕の個人用の小説であるし、パクるやつなんぞいるものかなー?と思い、こういう管理の仕方を行ってるのだけど、まぁ、プログラマ属性の人間はテキスト形式でできてるものは全部GitHubで保管するという変な習慣があるよなーと思う。一応、小説に関しては完成させたらカクヨムとpixivで公開して感想なんぞをもらうようにしようかなーと思ってる。今回書いてるのはオリジナルの一次創作であるしね。そこまでレスポンスは望めんだろうが、感想をもらうとやる気がモリモリ湧いてきて次作も頑張ろうというモチベーションに繋がるのである。


しかし、今回は玲と真輝のお話の続編を考えようと思ってプロットを書いたのだが、プロットだけで6000字も書いてしまった。どれぐらいの長さの話になるのか分からんのだけど、プロットの段階で6000字になるということは、本文を全部書くと4万字から5万字ぐらいの作品になるんじゃないかなと思われる。


僕の小説執筆の特徴として、異常なほどの遅筆という問題がある。プロットに関してはだいたい終わりまで完成させることができてるので、後はプロット通りに執筆していけば良いのであるが、書いてる本編の方がプロット通りに進むというのは稀なのである。というか、書いてる途中でキャラクターが勝手に動き始めてストーリーが変化していくというのは毎回であるし、最初の段階で作った結末とは全く違う終わり方をするということもよく発生する。だからまぁ、GitHubで執筆途中のプロットなどを公開してたとしても、完成する作品は全然違うものになってる可能性が高い。興味がある人はGitでpullしておいて、定期的に作品がどこまで進んでるか見るのも面白い楽しみ方かもしれんな。


ちなみ今回書いている物語は、うちの子の根神玲と守屋真輝の物語の続きである。確か、これの前作を書いた年って2011年ごろであり、12年も前に書いた作品の続きを今から書こうとしているというのに気が長すぎるという気もしなくもない。まー、なんというかこの二人については気に入ってるのでビジュアルなども考えてブログでも登場するうちの子になっちゃってる。たまに寸劇とかもやってるからご存じの人は知ってるだろうけど、この二人である。


www.pixiv.net


たまには寸劇もせにゃならんと思うのだが、あれは手間が大きすぎるのだ。僕は1時間ぐらいで毎日のブログを考えているけど、寸劇を考え始めると1時間では終わらない。話の落とし所とか笑いどころとかを考えて会話劇を構築しようと思うと、どうにも時間が取られてしまうようである。


玲と真輝の話をどうするかなーというのは僕も考えてる途中でさ。どう考えてもこの二人の話はスケールや世界観が広がってしまってるので、一連のストーリものとして続くんだよね。どうも、あの世とこの世の繋がりを通じて世界全体を巻き込んだ騒動になっているようであり、次々と新キャラが出てくるバトルものみたいな展開になってしまいそうな気配がある。


ブログの寸劇の方にも新キャラが色々と出てくるかなという感じ。少なくとも今回の作品で出した石動夕夜(いするぎゆうや)くんはビジュアルは考えておかねばならぬだろう。pixivなどで発表するときに自分で表紙を描いてしまう予定なので、キャラクター造形は作品を書きつつも考えておかねばならない。ちなみに設定上は12歳ぐらいの少年で、犬神使い。玲と同じく選ばれた子供であり、見た目はアルビノ。白髪と赤い目を持つ。狼のように大きな犬神を連れており、世の中存在全てを恨んでいるという風なキャラクター。


夕夜くんについてはキャラクター設定がまだ固まっておらず、口調とか一人称をどうするかとか考えてる最中。どうやら一人称は「俺」のようであるのだが、どうにも性格とピタッとくる感じがしない。でも、「僕」というのもハマらんのだ。一人称とか口調というのはキャラクター造形の中で大きな割合を占めていて、一人称が「私」なのか「僕」なのか「俺」なのかでもストーリが大きく動く。「ぼく」や「わたし」のように子供っぽいのとも違うし、試行錯誤は続きそうだ。

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