超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

ライフワークになる作品を書く準備ができた気がする。

f:id:yuki_2021:20211109221809p:plain

ライフワークになる作品を書く準備ができた気がする。


僕には絵を描いたり、小説を書いたりする創作の趣味もあるのだけど、これは今はお休みさせようと思う。最近起きた事件のせいで、創作意欲が完璧に消えてしまってるんだよね。創作って、ちょっと生活の中で余裕がある時に意欲が湧いてくるものだと思うけど、今は日常的に感情的にいっぱいいっぱいの状態でまともに作品を考えることが出来ない。まぁ、しばらくして生活が落ち着いてきたら創作意欲も戻ってくるかと思うんだけど、今は作品に向き合おうとすると悲しさの感情が湧いてしまって集中することができない。


多分、創作はこれからは小説がメインになっていくんじゃないかなと思う。最近、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を再読しているんだけど、創作を行うのであればちゃんと自分の気持ちに真剣に向き合って、その気持ちの底にまで降りていって言葉を紡いでいこうと思ったからだ。創作は辞めないよ。僕の創作歴というのは、20年以上はずっと絵を描いたり小説を書いたりを続けてきた人生である。僕にとって心のなかにある心象風景を作品の形で抽出するというのは、生き方そのものになっている。今回新しく見つけた感情も、作品の形で昇華させられないかな?と思ってる。


これから先、何か創作活動を再開するのであれば、書きかけの小説をブラッシュアップして、手直ししながら大柄の作品を目指そうとすると思う。前々から僕のブログを読んでいる人なら分かると思うけど、以前から統合失調症の姉とその妹の家族の話を書こうとしているのである。この作品は、中途半端に手なりで描写や説明などを書いていくのではなく、真剣にその場面場面の彼女たちの心情の深くまで想像するようにして、自分の全存在を賭けるぐらいのウェイトを乗せて書いてみようかなと思った。


僕は本当に統合失調症に自殺しそうになって殺されかけたりとか、キャリアをドロップアウトさせられて人生をどうしようもないぐしゃぐしゃなものにされたんだよね。この点において僕は完璧に社会からのアウトサイダーである。


だから、ずっとアウトサイダーの視点で、社会ではこの病気はどのように見られているのかを冷静に感じ取ろうとしてたし、同じ病気の人たちがどんな生活をしてたりだとか、どんな心情で生きているのかとかをずっと見つめていた。今ではこの病気がどんなものなのかというのは皮膚感覚でわかっている。自分自身が当事者でもあるし、この病気がどんなものであるかは全精力を傾けて真剣に理解しようと向き合ってきた。


僕が理解した統合失調症の姿形というものをきちんとアウトプットして形にしておきたいなという考えがある。ブログなどを通じて情報発信するのでも良いんだけど、どうやら僕にはあまりインフルエンサーの真似事みたいなことは向いてないらしい。そもそも他人に興味がなくて、喜ばれるようなことを書くことができない。自分が知っている病気の姿を文章の形でアウトプットをしていくのは面白そうと思うのだけど、どうやらブログの形ではちゃんと伝えられないディティールもあるようなのである。


僕は文章を書くのは好きなんだけど、あんまり文章で論理的に理詰めで物事の姿をはっきりさせるというのも限界があるというのは分かっている。人間の考えている情念や心理というのはナラティブの形でしか表現できないものがある。理論でばっさりと枝葉を落とした文章というのは、人間の心理の重要な部分が抜け落ちている。生きている人間の心理というのは、どうしようもないほどの細かなディティールを丹念に描きぬくことでしか表現できない。


僕がいろんなものを見たり聞いたりしてきたことを、物語の形で形にしておきたいなと考えるようになったのである。今までは創作は遊びの部分もあったんだけど、自分の心を観察していると、人生を賭けるぐらいの作品を書く準備が整いつつあるのを感じている。頭でこねくりかえした、こまっしゃくれたガキみたいな作品ではなくて、自分の気持ちを伝えるためにどのような言葉を使うのが良いか、よく調べた上でその時の最適な表現を選ぶ。


しっかりと物語の表現方法も勉強した上で、今だったら自分のライフワークになるような作品を書けるんじゃないか?と準備ができた感じがするんだよね。人生のなかでそういう時期に入りつつある感じがする。


ただまぁ、今は創作をやろうとすると拒否反応がでるので、なかなか壁も厚そうである。僕は諦めは悪いほうなので、時期を待って作品を書くのを再開させようと思う。

プライバシーポリシー免責事項