超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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内面駆動形の創作者に対する覚書。

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内面駆動形の創作者に対する覚書。


今日の沖縄のコロナウイルス新規感染者数は1500人超。3日連続で1000over。恐ろしいことはこれが人口集中している東京ではなく沖縄で起きているということだ。


土曜日に無料のPCR検査を受けてきたけど陰性と結果が出たよ。まぁ風邪症状はまったくなかったし念の為だったので当然ではあるけど、胸をなでおろした。しかし、社会の情勢が本当にヤバい。医療逼迫はすでにしているだろうし、たとえオミクロン株が比較的軽症であるとしてもこれで救急患者が受診できなくなるなどの緊急事態が起こり始めると死者が出る。


まぁ、僕らに出来ることはマスク・手洗いをしっかりとやって不要な外出を避けるぐらいしかないだろう。ジム通いもまたしばらくは出来ないよ。最近は動画を見ながらHIITトレーニングをやってるだけなので、自宅でもできるだろう。明日も朝からトレーニングがあるのだけど、自宅で着替えてサクッとトレーニングを済ませてしまおう。


さて、今日は何を書くか。ちょっとまた創作の考え方系統の記事でも書いておくとするか。


ほんと世の中には神に選ばれた才能でも持ってるんじゃないか?というぐらいすごい生産的に生きている人達がいる。近年ではtwitterなどのSNSでいろんな人たちとつながることができるけど、ものすごい上手な絵を毎日アップしてくるような神絵描きとか、面白い小説を多作してくる神字書きなんぞはそこらへんにごろごろいる。


僕らのような凡人が創作をする上で重要なのはそのような神絵描きとか神字書きと自分を比較しちゃならん。創作やるタイプには2種類いるんだけど、承認欲求強めで他人から評価されるために創作やるタイプと、内面の衝動に突き動かされて創作をやるタイプである。僕は内面の欲求に従って創作をやってるタイプだけど、僕とおんなじようなタイプの人達はネットで派手にいいねなどを集めている人たちは気になるかもしれないけど、あんまり関わるのもできればそういう人のSNSも見るのも避けたほうがよい。彼らと自分を比較してみてコンプレックスを形成してしまうと、筆を折る原因になりかねない。


承認欲求が必ずしも悪いという訳ではない。他人から評価されたいからこそ万人に受けるような造形を生み出して、それで新たな境地を切り開くような人もいる。だが、創作それ自体を楽しむタイプとは住んでる世界が違うのである。内面の声に従って創作をする人は、他人からの評価は毒になりかねない。僕らのようなタイプが何かを作りたいという気持ちは、過去の人生であった他人とは共有したくてもできない個人的な内観から生み出されているケースが多々有り、それを酷評なんてされてしまうとPTSDになってしまうこともある。


とはいえ、承認は欲しいかもしれないけど、外部から得られる承認は心を許した少数の限られた人にしておいた方が良い。別にSNSの使い方っていいねを集めて承認欲求を満たすためだけのものという訳ではなく、自分と似たようなタイプの人を見かけて話しかければ、友達になって相互で褒め合ったりとかもまたいとおかし。


創作をやる上では燃料が要るんだけど、twitterなどのネットで流通している創作のモチベーションの高め方の方法論なんぞは、大概、承認欲求型向けに作られたもので内面駆動形には当てはまらない。内面駆動形は、まずは他人の承認が少なくてもドライブできるように雑音をカットすることに専念したほうがいい。エゴサなんてものはもってのほかで、できればpixivなんぞに作品を発表したとしても一ヶ月ぐらいはレスポンスを見ないのが好ましい。


その代わり、高評価を付けてくれた人がいるのなら、その人が何を思って自分の作品を評価してくれたのかしっかりと深堀りしたほうが良い。ブックマークなんぞを付けてくれた人が居るのならば、その人の過去作は全部閲覧して、好みの絵柄とか作風であればこちらもいいねを付けたりフォローしたりして交流の幅を広げよう。別によく顔も見えない不特定多数から評価される必要はないのだ、数は少なくても自分の作品を好きだと言ってくれる人に強くハマってもらえば良い。僕らの戦略は少数精鋭型だ。


そもそもいいねもブックマークも何ももらえんのだが!?という人も居るだろう。それはこちらから適度に営業をしていないから誰も気がついてくれていないのである。世の中の創作者を確認しているとすごい良い作品を作っているのにまったく評価されていない人もいる。これは本当に仙人みたいな人で他人からの評価がまったく要らない人という可能性もあるが、大概は他人に対するアプローチの方法を知らない人である。


絵を描くにせよ文字を書くにせよそれらはコミュニケーションのツールだ。本当に自分だけしか分からず誰にも理解できない作品というのは、そりゃ自分以外の人には単なるオブジェである。多少は一般世間の評価軸に歩み寄らないと、その作品は誰にも伝わらない。そこんところのバランス感覚は、創作者各人違うであろう。


僕はこういう表現に関する話題の時はこの言葉で締めている。この言葉は表現者にとっては有用なものだと思うので今回も記す。

表現とは、誰かに何かを伝えるためにあります。
つまり、どんなに伝えたい事があっても誰も読まない記事は表現ではありません
ですがどんなに多くの人に読まれても、そこに伝えたい事が無ければ表現ではありません

ブラックジャックによろしく 13巻 38ページ

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