超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕は創作についてはこんな風に考えている。

僕は創作についてはこんな風に考えている。


今日は基本的には美容室に行って髪を切ってくる日であり、午前中は早く家を出て髪を切ってきた。昼食は那覇小波蔵の方にある「ラーメンと餃子の福琉」というラーメン屋に入った。



いや、期待せずにフラッと立ち寄った店だったのだけど、美味いなここ。味噌ラーメンを選んだのだけど、チャーシューはとろとろの良いやつであるし、セットで頼んだ餃子も小籠包と思うぐらいに肉汁がたっぷりと詰まったやつだった。近くに寄った時はまたリピートすることもあるかもしれない。


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午後からは自宅にこもってひたすら小説のキャラクターシートを埋めていた。時間があるのなら育ててる黒松の盆栽の植え替えでもしようかと思ってたのだけど、今日は沖縄は大雨であり、外出するのもはばかるような天気であるのでインドアでもできる小説執筆の趣味をやっていた。


しかしまー、正直今日はブログの下書きでもしてた方が良かったかななどと微妙に後悔の気持ちもある。仕事中にブログの下書きをするのは流石に気が引けるものであるし、ほとんどフリーの時間がない状態でブログのストックを作ると言っても、どうすりゃ良いのか全くのノープランである。


だが、小説執筆のキャラシートは、全キャラクターの分の設定をある程度はまとめた。良い進捗である。これからシナリオの頭から終わりまでのラフな展開をリストアップして、そしてそれをアウトライナーに展開してそれぞれのシーンの肉付けをする箱書きを作る。


玲と真輝のシリーズ全体がどんな終わり方をするかの結末まで見えた感じである。流石にブログでそこまでネタバレをかますと誰も読まなくなるので書かないが、物語の規模がデカくなりまくり、日本全体の人々とか因果軸までを絡めた壮大なストーリーになりそうである。


僕はどうも、「シュタインズゲート」とか「ひぐらしのなく頃に」みたいな、時間改変とか人間の自由意志のような、哲学的主題を絡めた物語にむやみやたらに憧れがあり、「そういうのやっちゃうの!?」と一人で勝手に盛り上がってる。やっぱりそういう物語は背後の世界観を練り上げるのが相当に難しいけど、人生で一度はやってみたいロマンな物語だよね。


ま、とりあえずはここまで頭がのぼせ上がってしまったのならば、まずは熱を冷まして現実問題の今回の作品のゴールをどこにして、思いついたアイディアの何を書いて何を書かないかの選別をしないとならないよな。シリーズ作品で後の展開も見えてるから、今後のために伏線などを配置も仕掛けていかないとならないし、密に作り込んだ資料を読みやすいように資料の整理もしないとならない。


そして肝心の問題としては、どれだけ壮大な設定ができていようとも、完成してない未完の大作は駄作以下である。ひとまずはきちんと毎日小説執筆をする時間を、1日30分でも設定して愚直に書き続けるだけだな。


まぁ、小説執筆って肉体労働であると、村上春樹さんが言っていたな。集中力を飼い慣らして、レーザービームのように一直線に集中して言葉を選び出して綴っていく。細部を描き出していく時には思考力をフルに使わねばならぬし、そこには肉体的な疲労感も伴う。


しかし、僕はどうもそういう芸術家のような才能であるとか、精神性みたいなところから外れたところで創作をやってみたいという思惑もあるんだよな。どうも、僕が作品作りで想定していることというのが、ピクサーであるとかディズニーの映画でそれぞれ、シナリオも分業で書いたりとかするような、工業化された創作技法というのに興味がある。


どうにも僕は昔から、「芸術とか純文学は才能が溢れている天才が命を削りながら作品を作り上げている」というのに違和感があり、そういう一子相伝の伝統工芸みたいなことを言っていると、いつまで経っても創作の裾野というのは広がっていかんよなと思うのである。


僕的には「アート」よりも、言葉で伝達可能な「テクニック」の方を重視する書き手なんだよね。自分がやってることを言語化して、それを第三者にも伝達可能なスキルとして残すことの方に意味がある。これは僕がITエンジニアだからかもしれないけど、一人で勝手に盛り上がって再現不可能なやり方でひたすら複雑に作り込んだプログラムというのはスパゲッティソースであり、そのシステムはただ動くだけで何の価値もない。


なので、僕はひたすら自分のやり方というのを整理していき、ちゃんと一つの整理された創作のメソッドとして体系づけることの方に興味がある。プログラミングにもそういうところがあるからね。複雑なものを複雑なままで理解するのは三流であり、「困難は分割せよ」というデカルトの言葉に従って、理解できないものは単純で理解しやすい要素に分割して、演繹法でまとめ上げていくのが良いだろう。


僕はまぁ、創作に対してはそんな風に考えているのである。

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