超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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メタな掘り下げばかりをやってるので気をつけないとならない。

メタな掘り下げばかりをやってるので気をつけないとならない。


さて、旅行から帰ってきて一発目のブログであるがこちらをみてほしい。



ブログの投稿日数が2800日連続記録である。キリ番にしては端数の方ではあるが、それでもこれだけの日数ブログを書き続けてこれたのは素晴らしいように思う。


などと、初っ端から自慢話で始まった今回のブログであるが、ここんところの僕のブログはブログ論ばかりであるしね。少しはブログネタについては話題を散らすことをを気をつけたいである。ブログ論は書こうと思えばいつでも書けるので、コタツ記事としては定番のようなところがある。


メタに対してメタをかまして、ひたすらメタを掘り下げていく記事も面白そうではあるけども、そういうメタの掘り下げはちゃんとした構造がある内容に対してじゃないとあまり意味がない。


自我に対して掘り下げを行なって、「本当の自分」を探すような行為というのは、ある一定の年齢の頃には必要なことであるかと思うけど、40代にもなる自分がそれをブログの誌面で行なって、全世界に公開するというのは恥を知らない行為である。


いや、これはどうも自分の偏見かもしれないけど、自己の掘り下げというのは自分で理解していれば良いだけであり、それを誰かに褒めてもらうために外向けに公開するような行為に関しては、慎みを持たないとならないと思う。それがちゃんとした第三者が見ても価値を含んでるようなものであれば素晴らしいのだけど、大抵の場合はそうじゃない。こういう自省については、その自分が感じてる質感について説明をしなければ第三者にとっては意味不明であり、それを褒めてもらおうと剥き出しで転がしていることに関しては、エゴの臭みを感じてしまいどうも僕は「共感性羞恥」を感じてしまうのである。


僕的にはこのことに対しては「型にはまらない自意識は見るに耐えない」という強い警句のようなものを吐いてる事があるけど、どうにもこれは同族嫌悪にも通ずるところがある。僕自身がそういうことをやってることが割とよくあり、他人が見えるところで自分しか理解できないようなことを書き、それで悦に入っている時があり、後から自分のブログを読み返したときに「うわっ!」となる。


そういう記事についてはできれば隠してしまいたいのだが、ブログの毎日更新のマイルールでそれはできないのである。一度、ネットに公開してしまった記事に関しては取り下げ不能。後からGoogle検索やSNSからのアクセスが増えないことを祈るしかない。「黒歴史」というのはそのようにして生み出されるのであるが、最初は自分でも面白い記事を書けたつもりになるけど、後から読み返してみて独りよがりなことを書いてるのに気づき、直したくても直せない手遅れの状態に陥るものである。


メタの掘り下げというのがその黒歴史を生み出すドツボに入りやすいブログネタの典型である。「ぼくがかんがえたさいきょうのおはなし」のパターンであるが、密にその内容を掘り下げまくってる自分自身は面白いけど、第三者から見たときに全く共感できないパターンになりやすいのである。この、「メタの掘り下げ」というのが僕がブログを書いてる時などに得意な書き方であり、今書いてることはその書き方に対する自制のための言葉である。


自分の内心の掘り下げって面白いよね。僕は特に自分の気持ちを確認するために長文のメモを書いて言語化を行う事が多く、そこで見つけた面白いパターンを褒めてもらいたくて「見てみて」とブログで公開する事があるけど、当たり前ではあるが他の人にその価値は理解できないのである。そういうときに僕は自分の文章力の無さを激しく嘆くことになる。


井上ひさしが「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という事を書いてたけど、これはまさしくエッセイを書くうえでの蘊奥のような言葉である。こういう事を考えたときに僕は文章表現の面白さと難しさを感じてしまうのであり、自分の道がまだまだ先に道程があるのが見えるのである。

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