超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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生きることってなんだろうなーと思った。

生きることってなんだろうなーと思った。


昨日の記事はご心配おかけしたね。メンタル最悪の状況であったが、なんと一日中海を眺めたりとかカフェに行くことで人心地付いてきた。今ではある程度は思考のリソースも戻ってきてるし、この間に何とか今の問題の問題解決を行なって状態の悪化を避けないとならない。


ひとまず今日は会社に出社して、障がい者雇用の担当者とミーティングを行なってきた。現状のメンタルの状況が最悪であることと、人間関係で潰されそうになってることなどを相談してみた。とりあえず、僕が上司に対して今のチームの人間関係だと潰されそうなので、他のチームに移してくれということは上層部にも伝わってるようである。来週、さらに上の上司と話し合いを持って今後の対応を決めていくことになる。


まぁ、話し合い次第ではあるけどストレッサーの同僚と距離を置くことができるかなー?とは思うけど、これは話し合いの内容次第か。どうしても今もチームで働けと言われたら退職を考えなければならないし、他のチームに移ることができるのなら、そこでしばらく働いてみて状況次第で対応を変えていこうと思う。


アプリ開発の仕事からは離れてしまうけど、まぁ次はWeb開発などができるかもしれない。最近のシングルページアプリケーションの技術などは不勉強だからよく分からないけど、新しい技術を勉強する機会だと捉えれば楽しくもあるだろう。


現状の落とし所としてはこんなところか。今の僕は強引に辞表を叩きつけるなどという対応をしてしまうとマジで人生が終わってしまう。自分一人が路頭に迷うだけならともかく半身麻痺の母親と飼い猫の大五郎まで生きられなくなってしまうかもしれない。ちょっと自分の身の上というのは、自分一人の意思で好き勝手できる年齢というのは過ぎているようである。


昨日は一日中カフェにこもって、Scrapboxにひたすら長文を書き連ねて自分の思考におかしいところはないか、何か見落としてるポイントはないかなど熟考を重ねていた。自分の人生というのはちょっとどうにかしてるぐらいハードモードなのであるけども、ちゃんと生きることを諦めて腐ってしまうとマジで奈落の底へGO!みたいな状況が昔から続いているので、何とかして心が折れるのを防ぎつつ状況を改善しようと努力し続けるしかない。


自分の座右の銘にしている言葉は「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という哲学者アランの言葉である。生活を送っていて一つ一つの状況はまずいかもしれないけど、人生全体で考えれば何とかなると考えながら物事の対応に当たってるのである。実際、僕の人生というのは一度マジで地獄みたいな底を見たのだけど、それから努力を続けていれば何とかなった。


ネガティブな状況に追い込まれて心が折れそうになっても、「方法はある」「何とかなる」とマントラのように唱えながら、今の自分が取れる行動の最善策を探りつつ対応していくというのをやめなければ良い。自分で考えて一つでも行動を起こせば、それによって状況が分かるし、そこで分かった情報で打開策が見つかることもある。一番まずいのは心が折れてヤケクソになって自暴自棄な行動をしたりとか、マイナスな状況を変える行動を諦めてしまうことである。


人間を殺すものが何かと問われた時に、ナイフや銃弾よりも絶望が怖い。人は覚悟を持って強い意思で持って生きれば死すらも乗り越えることがあるかと思う。前向きに生きて、困難に最後まで立ち向かいつつ死んだのならば、それは尊厳でもってきちんと人生を成し遂げたということであろう。


昨日、春ねむりというアーチストの「生きる」という曲を見つけて、すごく歌詞が良くて繰り返し聞いていた。


うつくしく生き絶える愛してるを重ねて
ゆるやかに滅びてく惑星のかけらになるまで

How beautiful life is!
How beautiful life is!

いつかみんな息絶えるさようならを重ねて
ゆるやかに滅びてくこの惑星で生きている

How beautiful life is!
How beautiful life is!


生きるというのは何なのか、ここまで生きてきたけど結局わからんよ。ひとまず分かることは、必死になって現状の状況を悪化しないように、エントロピーが拡散しないように最後まで争い続ける。自分の怠惰に負けないように強く意思を保って礼節を守る。


世界を考えた時に、生きているのは自分だけでなく、他の人間であったり、動植物全てが生きている。自分一人で見える視野など狭く、全宇宙を考えた時に自分の悩みなど本当にチリの一つでしかない。


人間というのは今の自分というのに望んでなったとは限らない。だが、今の現状を受け入れて、その中でベストを尽くして生きようという意思というのは美しいと思う。そんな意思の力こそが美しい人生の根源であると思う。

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