超メモ帳(Web式)@復活

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テキスト界隈の古強者達の記事を読んで、今後の人生を考える。

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テキスト界隈の古強者達の記事を読んで、今後の人生を考える。


今日は仕事を中途半端にやりつつぶらぶらネットブラウジングしてた。最近、またサボり癖が出てきて駄目ね。またこの対応策も後で考えるとするか。


ネットを彷徨ってるとシロクマ先生の記事を見つけた。ちょっとタイトルに惹かれて読んでみると、すごく興味深いことが書かれていた。


blog.tinect.jp


その中で紹介されてた二つの記事もすごく面白かった。テキスト界隈の古強者たちが加齢に伴う人生のあり方について考察している記事だ。


kyouki.hatenablog.com


blog.tinect.jp


上に挙げたテキストを読んでいると、僕も彼らと比べると一回りぐらい若手の方だけど、ぼやぼやしてたらあっという間に人生終わっちまうなと、これからの自分の行く末について考えさせられた。


このところ色々と人生について悩んでいたじゃないですか? それはなんとなく自分の中では決着がついてきたというか、結局、僕は自分ひとりでしか生きられない人間なんだろうなーとピリオドを打った。普通一般の幸せのあり方みたいなものも追求できるのか?とか自分の可能性を測りかねていたのだけど、どうにも僕は自分という強固な殻の中でしか生きられないらしい。


それはそれとして、これから先の人生を何の目標をもって生きるべきなのか?と先輩方のテキストを読んでいて想像させられる。皆さんそれぞれに人生に目標を持って生きていたけど、加齢に伴って出口戦略を模索して人生のフィナーレを飾ろうとしている。それぞれの方向性でもって、それぞれに個性的な自己実現された人生を全うしようと戦っている。


彼らはある程度以上の成果は上げてきた人たちなんだろうなーと思う。僕には見上げることしかできないね。僕も何とかネットの片隅で、誰かに届けとテキストを綴り続けているけど、それで何かしらの成果を残せたことというのはないんだよね。ただまぁ、僕にとってブログを毎日更新し続けるというのは、自己顕示欲とはあんまり関係ない所で行われてる行為なんだよね。僕は、書き続けないと本当に人生が終わってしまう状況から、スモールステップでリカバリーするためになんとか手探りで歩むために書き続けてきたのであり、ブログの毎日更新ってライフワークなのである。


でも、僕はそろそろ30代が終わるぐらいの年齢なのだけど、先輩方の年齢に行き着いたときにどういう人生を送っているのかは、あんまり想像できない。仕事の方はおそらく今の仕事を続けていると思う。僕はメンタルの病気を患って障がい者雇用でしか働くことができないので、これから別の一般就労に移るモチベーションというのはそれほど高くない。フリーランスの方もありかな?とか一瞬思ったけど、最近の社会における求人の需要と供給を観察していると、おそらく今後のフリーランスの存在意義って、ほとんどがギグワーカーみたいにして安価に使える労働力として消費されていくだろうなと想像できて食指が動かない。まぁ、転職市場をみてなにかしら状況が動いたりチャンスが発生したら僕も動くけど、コロナ禍の現在の社会情勢下では様子見が一番良いですね。


仕事以外でも何かしらの人生の方向性を持ったほうがよいかな。僕も書くことが好きで小説などを書いてみようとしているけど、果たして死ぬまで書いても自分の作品がなにかの賞に引っかかることはないだろうなと達観している。いままでの雑文書きの人生においても色々とテキストも書いたし、小説も書いたのだけどそれはまったく箸にも棒にもかからない。僕の書いた作品というのは、まぁそれぐらいのものなのだろう。


別に文章を書くことに関しては、書いたものがたまたま誰かの目に止まって自分の人生に興味を持ってもらえれば良いな、ぐらいの期待感である。僕が文章を書くことというのは、こころの中に蓄積している鬱憤を吐き出さないと「あやしうこそものぐるほしけれ」から書いているのであり、吐出口を塞がれるなら死んだほうがマシなのである。


しかし、ま、死ぬまで書き続けるだとか時々言ってるけど、このブログとか書いていることもほとんど自己満足ばかりで利益にならないことなんだよなぁ。虚仮の一念、岩をも通すとはいうけども、書き続けてどこに至るかはまったく考えていない。そろそろ今後の身の振り方とか、どういう風な出口戦略を取るべきかは、先輩方のテキストで考えさせられた。

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