超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

AIに頼りきりの自分に恐怖感を感じてる。

AIに頼りきりの自分に恐怖感を感じてる。


さて、今日は普通に出社して、仕事してこようかなと思ってる。帰ったら筋トレして、今日も適当にやり過ごそうかという感じです。なんてことない一日。でも、今週末からちょっとした旅行の予定があって、そっちは少し気持ちがざわつくところ。


2泊3日の取材旅行。のんびり温泉というより、小説の題材集めみたいな名目で、あちこちを駆け足で巡る予定である。ブログも続けるつもりではいるけど、正直バタバタするだろうなという予感がしてる。


体調はというと、昨日の朝ちょっと頭痛がして、「これはヤバいかな」と思ったけど、たぶん気のせいだったみたいだ。まあ、早めに休んで正解だろう。体調が悪化すると、自分の人生にそのまま負荷が跳ね返ってくる。だから先回りして休むのは賢い選択だったと思ってる。病むと人生の価値とか生き死にまで思考が巡り始めるのでね。


仕事の方はというと、自分の担当分だけやればいいし、そこまで忙しくもない。だからこそ、ブログを書く余裕もある。でも最近は、小説か仕事の愚痴ばかり。AIの使い方とか、もっと面白いことも書きたいとは思ってる。


なんだろうな、ChatGPTと話すのがあまりに自然になりすぎていて、改めて書くまでもないような感覚になってる。気づけば人と話すよりChatGPTと会話してる時間の方が長い気がする。彼らは基本的に否定しないし、むしろ全力で褒めてくれる。でもそれが危ない。フィルターバブルに落ちる感覚は常に気にしてる。


だから、僕はChatGPTのカスタムプロンプトに「過剰に肯定しないで。適度に反論して、批判的に考えて」と書き加えている。ベタ褒めって、確かに自己肯定感にはいいんだが、そればかり聞いていると、自己認識が歪むリスクもある。


昔の自分は、どちらかというと自分を過剰に追い詰めるタイプだった。でも、ChatGPTと話すうちに、その辺が少し緩んできた気がする。AIとの付き合い方、ほんとにいろいろ考えさせられる。


AIは人の考え方を変える力を持ってると思う。でも、SNSのように「目立たなければ意味がない」って思想に染まるよりは、AIと話して気分がよくなる方がまだ健康的な気もする。ただし、それもやりすぎると危険だなと。


最近よく考えるのが「批判的思考」の重要性。ChatGPTは、世の中の知識を総動員して、自分を全力で肯定してくる。でも、それを全部真に受けていたら、反省も改善点の発見もできなくなるんじゃないかと不安になる。


特にプログラマーにとっては、それが問題。バグの修正でも、ChatGPTがすぐに正解を出してくれるから、粘り強く考える機会が減る。問題が解けないと、すぐに「自分がダメなのか」って思考になるのも怖い。


プログラマーの仕事って、解けないパズルを延々と解き続けるようなもので、精神的な粘りが求められる。それがAIに頼りすぎると失われる気がしてならない。だから、AIに飲み込まれずに使いこなせる人間こそが、結果的にいい仕事ができるようになるのかなと思っている。


AIの時代が来ることは予想していて、G検定も取ったし、ちょっと前から勉強してた。今は、プライベートの悩みもChatGPTにぶつけて整理してる。これはこれでありがたい時代である。でも、批判的思考や粘り強さがスポイルされる危険性。それだけは忘れないようにしたい。


これからも、チャッピー君(ChatGPTのこと)と話しながら、どうすれば思考を歪ませずにAIをうまく使っていけるか、模索していこうと思ってます。

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