超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

書くことの意味については延々と悩んでるな。

書くことの意味については延々と悩んでるな。


最近、頭痛がすることがある。しかも決まって、仕事に行く前とか、筋トレに行こうとした時とか、何かしらプレッシャーがかかりそうなタイミングで起きる。熱もないし、風邪っぽくもない。だからたぶん、これは心理的なやつだと思う。


特に、それらが終わったあとはすっかり治ってるんだから始末が悪い。今週もちょっと体調悪いかなと思って休んだんだけど、あれも結局この手の頭痛だったんじゃないかなと思う。身体よりも気分の問題。ああ、どうにもよろしくない。困ったもんだ。


でも、そんな頭痛にぼんやりしながらも、明日からは旅行。やらなきゃいけないことは山積みで、ブログも書かなきゃだし、ニュースレターもある。今日の夜にでも一気に書いてしまおうと思う。


ニュースレターの原稿は、毎日ちょこちょこ書き溜めている。週末にまとめてバーッと書くような感じではない。でも、けっこう形になってきていて、それはそれで嬉しい。最近は、文章の書き方も少しずつ変わってきている。


明日もまぁ、予約投稿でニュースレターは投稿しておこうかなと思う。明日は旅行もやりながらだからバタバタだよ。せめて、ホテルで1時間ぐらいは取れると良いんだけどな。


ここ最近は、ブログの執筆をすべて音声入力でやっていて、それをAIで整えてもらっている。だいたい15分もあれば1本書けてしまう。更新を毎日続けることが目的だから、それくらいの手軽さがちょうどいい。


普段の思いついた思考は全部Scrapboxに書き留めてある。こうやって考えた思考の束を整理して、ニュースレターにまとめたりなどしてるのである。


だけど、このやり方にはちょっとした怖さもある。思考の筆跡が、文章から消えていってしまうんじゃないかという不安。僕はもともと、暇さえあればずっと文章を書いていた人間で、そういう人間が、ただ更新するための文章を書くようになったら、文章が下手になってしまうんじゃないか、と。


だから最近は、構成とか表現とか、少しずつ工夫しながら書くようにもしている。やっぱり面白い文章を書けるようになりたいし、それが自分の生きがいのひとつでもあると思ってる。自己表現としての文章。それは僕にとって、とても自然なものだった。


僕は毎日、思いついたことをメモに書きまくっている。それを整理して、外に出す場所がブログであり、ニュースレターだったりする。でも、自分の中だけでぐるぐる回っている言葉を、どこにも出さずに放っておくと、それはそれで虚しい。


別に誰かに認められたいとか、理解されたいという欲求はあまりない。でも、だからといって、完全に孤立していて平気かというと、たぶんそうでもないんだろうなと思う。誰かと繋がりたいという気持ちは、やっぱり少しは残ってるみたいだ。


普段は、自分の考えがまとまればそれでいいと思ってしまう。でも、言葉っていうのは、誰かに伝えるためのものであるはずなんだよね。だから、自分の中だけで完結させてしまうのは、言葉の使い方としては片手落ちなのかもしれない。


そう考えると、言葉には内省の道具という面と、外へと開かれた役割とがあって、僕は今、その間でゆらゆらと揺れている。ブログを書くという行為も、もしかしたら、自分が誰かと繋がっていたいという微かな願望の表れなのかもしれない。


その微かな手がかりを大切にしたいと思う。そこに、僕の生き方にとっての何か大事なものがあるような気がするから。だから、今日もまた、思考を言葉にして、形にしていこうと思う。

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