恥ずかしいが慈悲の瞑想は効く。
沖縄のコロナウイルスは引き続き非常にまずい感じ。うちの会社でも数人感染者が出てきてるし、いつまで通常勤務で仕事をするのか分からんな。感染が広がってしまうと、リモートワークが再開されることもあるかもしれない。まぁいいや、僕個人でなにかやれることみたいな事は、マスクと手洗い消毒をしっかりとやって密には近寄らない程度だ。なんか変事があればまたブログで個別エントリーにして書く。
今日はマインドフルネス瞑想についてでも書こうかな。ここしばらくで集めてきた資料の中で気になるやつを紹介しつつ、自分の考えもまとめて参ろうか。
僕自身の現在の状況としては、マインドフルネス瞑想に関しては去年の8月ごろから毎日休まずに毎日やっている。なんかさ、生活の中で精神的に辛い出来事がたくさんあったから自律神経がおかしくなりかけていたので、その精神状態を鎮めるために毎日20分づつ瞑想をやるようにしてたのだね。
精神的に苦しい時は胸が締め付けられるような感じがして、夜寝るのも睡眠薬が無いと寝れないようになっていた。でも、マインドフルネス瞑想をしっかりと続けてやってたら、体の中の状態も把握の解像度が上がった感じで、心臓がドキドキしている感覚とかみぞおちの辺りに冷たいものが凝り固まってる様子なども分かる。呼吸や足の裏の感覚に意識を向けることで精神的な囚われから抜け出せるようになった。精神的に落ち込んでいるときなどは呼吸に意識を向けることで、ぐるぐる思考を止めることが出来た。今では精神状態も安定していて夜もしっかりと眠ることができる。
マインドフルネス瞑想を研究するために、図書館に行ってその第一人者のジョン・カバット・ジンの著作などを色々と調べてみたりとか、認知行動療法のアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)の論文をしらべてみたりなど色々と研究もしていた。瞑想の原型の研究をするためにヴィパッサナー瞑想やら禅宗の書籍も読んでみたけど、あんまりスピリチュアルなものとは僕はあんまり相性が良くないようだね。あくまでも仏教で生み出された瞑想を、科学的にメンタルヘルスの改善に使うためのマインドフルネス瞑想が僕にはピッタリと合っているようである。
今回はネットで見かけた参考になる資料なんぞを紹介してまいろうかな。僕はマインドフルネス瞑想の練習では一般社団法人マインドフルネス瞑想協会の代表をしている吉田昌生さんの動画を使うようにしている。
平日は呼吸瞑想とボディスキャン瞑想を交互にやるようにして、日曜日は感謝の瞑想を試してみるようにしている。吉田さんのYoutubeのなかに感謝の瞑想というのがあるんだけど、これはすごかった。
たしかにこの瞑想をやると、過去から現在の自分に至るまでの生命の繋がりとか世界と自分のつながりとかを感じることができる。広がるイメージが壮大で、世界の広がりを感じることができるんだけど、こういうのはスピリチュアルな感じがして嫌悪感を感じる人もいるだろうなーと思った。僕もまぁ、感謝の瞑想とか慈悲の瞑想に関しては忌避感があった。
これに関しては下記のような記事があった。
そうなのよ、慈悲の瞑想ってのは瞑想をしながら大事な人を思い浮かべたりとかして、「私や私の大事な人達やすべての世界の人達が幸せでありますように」とかマントラを唱えて祈るような瞑想なのよ。んなもん宗教臭いし胡散臭くて効果あるんか?と、僕みたいな即物的なタイプは思ったりするんだけど、本気になって世の中の人達の幸せを祈るような行為というのは、自分のなかにある恨みや怒りの感情というのを丸め込んでしまって穏やかな性格を作り出してしまう効果があるらしくて、それによって自分の気持も楽になるみたいです。
ただまぁ、肝心なことは、真剣にそれらの人たちが幸せになれるように祈らないといけないということなんだよね。自分のなかに暖かなイメージが浮かんでくるぐらいまで本気で人生で出会ってきた色んな人への感謝のイメージを膨らませてマントラを唱えないといけないのよ。どうにも懐疑主義者の僕にはその行為ってのは気恥ずかしさが抜けなくて、イマイチ苦手なのだけど、本気でやってるとたしかに日常生活でもいろんなギスギスした感情が消えてしまって楽になった。
宗教でやってる祈りというのはこういう効果があるのかーと実践してみて感じる事もある。別に特定の神様を拝んだりするのではなく、自分の中で世の中の人達の幸せを祈ってるだけだし、宗教とは微妙に違うと思うのだが、やっぱスピリチュアルだよなー。まぁでもそれで気分が楽になるのならええんかな?と思うけどね。