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村上春樹の「職業としての小説家」を再読した。

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村上春樹の「職業としての小説家」を再読した。


なーんかさ、この所、異常に眠たいんですよ。休日の半日寝てしまったりとかで時間を無駄にしていて非常に勿体ない。眠いのが自分だけじゃないんですよ、嫁さんもなんか眠いんです。特に思い当たるフシってのが無くて、台風による低気圧じゃないか?と二人で結論付けましたね。


休日だから別に眠った所で自分が時間を無駄にする以外は特に害らしい害はないんですけど、やっぱり日々の生活リズムは安定させてた方が良いじゃないですか? 日常生活で小説やらブログやらを書いていく時間というのは限られている訳で、その時間を無駄にするのが勿体ないんですね。できるんであれば、休日の空いた時間は小説とか読みたいし、できれば小説の執筆もやりたいんですよね。


入眠時間と起きる時間を安定させなければならないんだろうなと思いますね。



睡眠時間8時間というのはブログを書く以上キープする事は不可能なんですけど、それでも7時間ぐらいの睡眠時間は確保したいですよね。休日でも23時から0時には寝て、6時から7時に起きる生活は死守した方が良さそうですね。


ここまで書いてきたんだけど話題が尽きた。さしあたり今日は書くことがないので日記でも書いていよう。


今日は嫁さんと一緒に外出して買い物をしていたんだけど、新都心のペットボックスに綺麗な熱帯魚専門コーナーがあった。



熱帯魚もまぁまぁ好きなんですよね。僕が中学生ぐらいの時に熱帯魚ブームがありまして、その頃は60cm水槽にエンゼルフィッシュグッピーなんかを飼ってたりしていました。水草水槽は今でもインテリアとして欲しかったりしますけど、そもそも家の中が全く片付いていないので、こんな荒れ果てた家にオシャンな水槽なんかを買ってきた所で完全に浮くのでまずは片付けが先決でしょうね。


でも、水草水槽なんかを眺めたりするのは落ち着きます。僕はカフェや喫茶店なんかが好きで、沖縄中のいろんなお店を回ったりしてますけど、こういう綺麗な水草水槽を眺めながらコーヒーや食事を頂けるお店があれば行ってみたいですねー。最近は、沖縄のカフェ情報なんかはインスタグラムで色々と検索してGoogle Mapに保存などしてたりするので、コロナが落ち着いた頃合いを見計らって訪問して、記録は沖縄グルメブログの方に書いておきたいですね。グルメブログの情報を充実させるのも最近の楽しみの一つなんですよ。


そういえば、昨日、村上春樹の「職業としての小説家」を再読したのですよ。最近は20時には小説の勉強をしようという事で色々と本を読んでいるんです。この「職業としての小説家」に関しては以前も読んだことがあるんです。その時の感想はこちらのエントリーでまとめた。


www.ituki-yu2.net


読み返してみるとやっぱり感じ入る所が違ってきますね。この本は村上さんが書いた文章読本みたいな読み方もできるんですけど、本人が半生を振り返ってみて小説家という生き方をするためにはどんな風な生活を送れば良いのかとか、そういう作家としての哲学を語っている部分が多いです。


ハマる人にはハマるんですけど、手っ取り早く小説を書きたいという人が読むような本じゃないです。村上さんの書き方というのは、日常生活全般で起こる出来事や出会った人物のディティールを脳内のキャビネットに収めておいて、文章を書く段階になってそこから引っ張り出してきて書くみたいな感じです。日常茶飯事をゆっくりと自分なりに理解してそれをパーツとして取っておく。村上さんが言ってるんだけど、小説家というのは頭の回転が良くなくてあまり物事に急いで結論を出し過ぎないタイプの方が向いているそうです。自分なりに起きた出来事に対して熟考して、そこから感じ取れるフェルトセンスこそが小説で主題にする事なのだそうです。


他人の思惑とかどうでも良くて頑固な、内向的である種の自己中心的な人の方が小説家に向いているんじゃないですかね? これは僕の哲学なんですけど、ちょっと心の中で起きた思い付きを、いちいち他人に吐き出してすっきりしないと気が済まない人には大柄な物語は書けないと思います。いろんな思い付きを心にため込んでおいて、心の内圧を高めてからこそ、何か物語を書いてみようみたいなモチベーションが生まれるのであって、ちょっとした心痛程度で大騒ぎしている人には奥深い物語は書けないんじゃないかと思う。


だから、まぁ、twitterとかブログであんまり心情を吐き出し過ぎるのは、文章は書きなれてくるけど、小説執筆をするためにはあんまりよろしくない事なんじゃないかな?とは思うんですね。どうなんだろう?ブログは兎も角、twitterやらはてブで条件反射的に短い言葉の大喜利ばっかやってると、長文を書く筋力は間違いなく衰えるなとおもってあんまり覗かない様にしているんだけどさ。


この本では無くて「ねじまき鳥クロニクル」という本の中だけど、こういう事が書かれていた。


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僕はまぁ、「真実は小さな声で語られる」っていう村上春樹が寓話の中で話したセリフが真実に近いんじゃないかと思ってる。静かな場所で、耳を澄ませて、丹念に一つ一つの声を拾わないとこの世界の真実は見えてこないんじゃないだろうか? ブログやtwitterで色んな人の意見を聞けるようになったけど、ノイズ混じりで騒がしい。僕は小さな声に耳を澄ましている。


「真実は小さな声で語られる」。がやがやと大勢が騒いでいるところで受け取れる情報って、何かしらのアジテーションだったり宣伝だったりするしさ、そういうマスから受け取る情報よりは個人的な情報の方に注目するべきではないか?と僕は思った。このブログを書いている目的の一つとしては、丁寧に毎日を生きる事で自分の内面のディティールをはっきりさせる事だったりする。


職業としての小説家 (新潮文庫)

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