超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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文章を書く上では自分の信念を押し通したい。

文章を書く上では自分の信念を押し通したい。


飛行機の中、とくにやることもないので文章を書いて暇つぶしをするとする。どうも僕の変な癖で、時間があると長い文章を書き散らして、頭の中のノイズを言語化しちゃう癖があるのである。


僕は昔から暇があったらエディターに向かって文章を書くことが趣味であった。この文章に関してはブログに掲載するつもりで書いてるものであるけど、それ以外にも暇つぶしで思考をスケッチしてるメモを大量に取りまくる癖がある。


どうやらある種の人間にとっては文章を書くというのは娯楽であるようなのだ。以前、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」の登場人物のアル中の作家が、思いつきで文章を書きまくってるメモが出てくるシーンを読んだことがあるけど、これはある種の偏執的な性格の人物にはよくあることなのかなと思う。


別に、文章を書く事は好きではあるが、書いている成果物のクオリティというのはそこまでレベルの高いものでもない。本当に言葉をかきならべているだけであるし、高く人から評価されるものでもないだろう。


インターネットが発達して、ブログやSNSで多くのプロではない人々の文章を多く読むようになったけど、それを読んでみて思うのはやはり文章を書くプロというのは凄まじいという事だ。


商業ベースで評価される文章というものは、ある種の有益性のようなものを含んでおり、なおかつそれでいて読んでいて楽しいと思わせる文章でなくてはならない。無論、商業ベースでも箸にも棒にもかからないような文章を書いてる書き手というのもいるけど、そういうのは淘汰されていくものだ。だいたいの平均的なクオリティにおいては、やはり金をもらいながら書いてる作家というのは競争の圧が掛かっているのでそれなりに華を持ってる人しか残らないものであるな。


僕が書いてるブログのような、素人が趣味で書いてるような文章というのはクオリティもそれなりであろう。最近、はてなブログでは記事に対して有料課金させるペイウォールの機能を組み込んでいるようだが、僕はそれは使う気にはなれない。素人が趣味の延長線上で書いてるような文章で金を取るというのも心苦しいなと思うからだ。


どうも、SNSを見ていて、そこで自分の承認欲求が湧いてくるのをよく感じる。書いている事などは、暇つぶしで書いている事なのだけど、それらの自分の細かな雑念を人に評価されたいと思ってるのが承認欲求の正体であるようなのだ。


わりかし長い間、こうやってネットで文章を書き散らすことをやってきたけど、人に評価されたいと思うのならばそれなりに芸を持たねばならないと思う。最新の情報をキャッチアップしてそれを分かりやすく人に伝える事であるとか、とにかく面白くて笑えるような文章を書いたりなどだ。多くの人に文章を評価されたいと思うならば、それらの商品価値を高めなければならない。


しかしまぁ、僕はそういう有益な文章を書くことに対する諦めのようなものがある。いや、それどころかそういう人に媚びた文章を書かない事を誇りにすらしてる。


文章というのはコミュニケーションの手段である。一体、自分の中をグルグルとループしてるだけで、外側に向かっていかない文章に何の価値があるのだろう。これは僕の癖である。ごつんごつんと一人で壁に頭を打ちつけて、それで「自分の何が悪いんだろう……」と悩み続けてる。そんな重き荷を背負い長き坂を登り続けて、なにか報われる事があると信じるのが僕の性質なのである。


まったく近代合理的精神とはかけ離れた考え方であるな。普段はPDCAサイクルがなんちゃらー、という風な事を言ってるのにもかかわらず、基本的な性質が昭和の根性論なのである。おんなじことばっかり繰り返しても何の価値も生まれないというのは分かっているけど、それでもなんかルーチンをやめられないんだよね。


僕は文章を書くことで何をやりたいんだろうね? こりゃずっと以前から考え続けてるしつこい肩こりのような問いであるよ。ブログで文章を公開したりするという事から、すこしは誰かから評価されたいという気持ちはあるんだろうけど、だけど誰かに媚びるつもりもないのである。


「私は何も飾るつもりはないけども、そのままの私を評価して」というのは随分、横着な話であるよ。なんの労力を掛けずとも多くの人に評価されたいというのは、幼いエゴの臭みを感じる。


多くの人に評価されたいと思うのであれば、人々に膾炙される話題を選び建前をしっかりと打ち立てないとならない。我を通して評価してくれる人というのは少数である。ユダヤ人の教えにもある事だが、10人の人が居ればその中の7人はあなたの事がどうでも良くて、残りの人が敵か、何があっても評価してくれる人になる。


飛行機のなかでやる事もないので、ここまでスマホでダラダラと書いてきたけど、僕の中で結論は出てるのよね。僕は自分の書いてる文章で多くの人に評価される必要はないと思っている。そのかわり、刺さる人にはめちゃくちゃ刺さると嬉しいなと思ってるのだ。その割には承認欲求で苦しんでる事も多いけど、僕がやるべき事としては承認欲求を殺し切ることだろう。


益体のない、エゴの悩みをダラダラと書き綴らせてもらったが、旅先で書く文章としては景気の悪いもんだ。帰りの便ではおもしろい土産話を書けるようにするよ。

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