人生はクソゲーであるがやり過ごす方法は見つけた。
さて、困ったことにまた精神状態が卑屈な感じになりそうである。仕事のプロジェクトが完了して振り返りのミーティングがあったのだけど、他のみんなは素晴らしい成果を残すことができてるのだけど、自分一人だけどうしようもないところに引っかかってまるっきりろくなことを達成してない感じなのである。お陰様で気分がダウナーであり、またブログでネガティブなことを書いてさらに落ち込む負のループに入りそうなのだ。
ま、このネガティブな自分の性格にも長年付き合ってきたから、やり過ごし方というのもわかるようになってきたよ。人間の考えや立場というのは常に移り変わるものであり、諸行無常である。
その人が置かれた状況や環境というのはそれぞれ違うものであるし、人に褒められたりとか怒られたりするのもそのときどきの条件で移り変わる一定しないものだ。だけど、人間の思考というのは目の前で起きた出来事を自分と結びつけて、自分の価値を自分の思い込みの妄想で人より高いものと思い込んだり、自己卑下をして自分をくだらない存在だと決めつけたりする。
実際のところ、自分の価値というのは思い込んでるほどすごいものでもなければ、人と比べて矮小なものでもない。等しく母親の腹から生まれて、食うために社会で働いて、そのうち病んで死んでいくだけだ。人は自分で望むわけでもないのに苦しいことばかりの世界に放り込まれて、なのに最後は運命的に死ぬことが決定づけられているのである。
人生というのはそういう苦しいことばっかりであるけど、そういう状況を見て気分の方まで悲観的に考えているとかえって生きるのが苦しくなってくる。人間の気分というのはコロコロと移り気で安定しないものだけど、放っておくとネガティブなことばかりにフォーカスを当てるのである。
どうも人間の脳というのは、猿から進化してサバンナで暮らしていた頃からの習性で、嫌な出来事を繰り返し思考して危機回避をするように発達してきたようである。たとえば、毎日皿を洗ったりするような体に染みついた家事をしたり、シャワーで何も考えずにぼんやりと過ごしていると嫌な記憶が蘇ってくることがある。あれは脳がアイドリング状態で暇をしてるので、記憶を整理するために嫌な出来事を再生してるらしい。
僕もいろんな時に嫌な記憶を蘇らせてグルグル思考をして苦しんだりしてるけど、マインドフルネス瞑想を習慣化することで妄想が感情にまで影響を及ぼすことを回避できるようになってきた。嫌な出来事の記憶というものは、その記憶を消そうと努力すればするほどますます強固にグルグル思考として蘇ってくる。
この時の状態というのは流砂に飲み込まれそうになってる状況だ。下手にジタバタするとますます深みに足を取られて引きずり込まれていくだけなのだ。流砂の中では動けば動くほどさらに沈み込んでいき身動きが取れなくなる。流砂に巻き込まれた時に助かる方法としては、流砂の上で手足を広げてジタバタせずに寝そべることである。そうすればこれ以上沈むことはないので、口笛でも吹いて助けを呼べばいい。
グルグル思考についても同様のところがあり、考えを否定したりしようとするほどその思考は強固になりますます嫌な気分を広げてくる。下手に「こんなことを考える自分はダメだ!」などと反論しようとすると、あの手この手で違ったネガティブな言葉やエピソードを想起させようとしてくる。ネガティブなグルグル思考に、ポジティブシンキングとかそういう思考法で対応しようとしても逆効果である。
じゃー、どんな風に考えれば良いかというと、グルグル思考を回避しようと思うのなら、その思考が浮かんでいる時にそれがあることだけを認めて「あぁ、〇〇について考えているな」とひとまず思考で言語化をしておき、あとは思考が流れていくのに任せるのである。
深呼吸というのも有効で、嫌な思考に悩まされてる時は自分の呼吸にフォーカスを当てて、気分が静まるまで深呼吸してみるのがオススメ。深呼吸のやり方は、まずは大きく息を吐いて、4秒で鼻から息を吸い込む。7秒間呼吸を止めて、8秒を使って口からゆっくりと呼吸を吐くのである。これをじっくりと5回から10回ばかしやってると気分が落ち着いてきてグルグル思考はどうでも良くなってることが多い。
あとはまぁ、僕の場合はそうだったのだけど、日常で使ってる言葉が刺々しくて攻撃的な場合、自分を傷つけるグルグル思考の言葉も同じ言葉を使うよね。インターネットの攻撃的な言説や、過剰に残酷なストーリのコンテンツなどを摂取していると自分の思考で使う言葉も攻撃的になる。これは意識的にそんな攻撃的な情報に触れるのを回避することで、徐々に思考の中の言葉もマイルドになってきて気分が楽になる。
まぁ、人生はクソゲーであるが、クソゲーだクソゲーだと嘆いているとますます落ち込んで救いようのないクソゲーになるんだよね。この状況は仕方ないことであると受け入れることがスタートである。自分の生活の中でこれがあれば気分が楽しくなるという方法や道具を見つけて、テキトーにやり過ごすのがこのクソゲーの攻略法である。まじめになったらダメだね。故河合隼雄先生も真面目もほどほどにという主旨のことを言ってたけど、「こんなゲームにマジになっちゃってどうすんの」という感じである。