日記やブログはポジティブな結論で書いた方が良い。
さてー、早速昨日の今日で小説を書き始めたのだが気づいてしまった。
ちょっとまて、一日に小説千字書いてブログを2000字書くって全く家で休む時間がないじゃないか。
— ゆきにー@雑文書き (@yuki_20211) 2020年6月30日
ふつーに考えて無理筋。
なんというか、ライティングのトライアスロンみたいなメニューだよこれ。全く違う方向性で頭をフルスロットルさせて、延々とエンジンふかし続けるみたいな頭脳労働強いられる。朝令暮改だけど方針変更。小説執筆の文字数は1日1000字は無理。今日書けたのも765文字だし、20時からの1時間を集中して500文字を書けたら良いとする。
いちおー、このブログは僕の公開日記帳でもあるので小説執筆の途中経過も報告させていただきますよ。こうやって目に見える所で報告してプレッシャーを掛けておかないと、僕はあっさり目標を放棄するパターンもあるんですよ。現在執筆中の小説は、目標4万字。2020年10月1日までに一通り作品を完成させて発表してみましょうか。
さて、私事の報告終わり。ここんところ毎日小説書くぞーの意気込みばかりを書いてたので、そろそろ違うのが書きたくなってきた。なんか、習慣の話でまとめてしまおう。
このブログは僕の日記帳代わりでもあるんだけど、断続的だけど普通の日記も付けている時がある。ブログを書き終わった後にEvernoteとか自分だけに限定公開のブログとかに今日一日の出来事や写真なんかを張り付けて日記を付けていた事があったんだけど、めんどくさくてやめちったい。ブログは2006年からだから14年だけど、日記は高校生の時から書いたり書いてなかったりするから下手したら20年近く何かを書き続けようとしてきているのである。
このブログは毎日更新で1400日近く書き続けているわけだし、日記的な役割を果たすエントリーも書いているから別に日記はいらねーかな?というのが最近の結論である。でも、プライベートな事も記録は付けときたいんだよね。今日プライベートで何やったとか仕事の愚痴とかはブログでは書けないもん。元々僕は何かを書き始めると全部長文になってしまうタイプであるが故、日記も長文でその日あったこととか気持ちをみっちり書く。
日記は付けておくと後で振り返るときに随分と面白かったりするんですね。今でもEvernoteの中に2012年ごろの記録とかあったりするけど、その頃考えていた事とかちゃんと書いてあって面白い。あの頃と比べると僕は随分と性格が丸くなっている。仕事で殺伐としてネットでも刺し合いしてるような環境だったので、書いている事がとげとげしい。
なんか、ネットを彷徨ってると日記についての情報を見つけた。
これが面白かった。
ヒマな人が日記を書かないほうがいい理由
日記を書こうとしても、特に何もやってないので過去をほじくり返し始める
過去をほじくり返して、いい思い出を思い出す人はまずいない
取り返しの付かない失敗や後悔していることなど嫌な思い出を思い出してしまう
結果、日記にネガティブなことばかりを書くことになる
自分の心の内面の黒いところを自分でのぞき込んで自分で吸い込まれていく…
どこで自分は人生を間違えたのか…
いかに自分がダメか…
精神的な自傷行為に走ってしまう
僕的にはこの理由は、「だからポジティブな文章でブログを書いた方がいい」みたいな理由です。
やることがない暇人は自分の暗黒面を掘り返し始めて恐怖のズンドコみたいな日記を書いちゃうもんなんですよ。大概、僕も無職で暇なときに書いた文章は中二拗らせた様な痛い文章を書き連ねていたんですよ。プライベートで誰も止めないもんだからトラウマ抉りまくりでメンタルヘルスをおかしくするような日記を書いちゃうんです。
別にブログでもマイナスな事書いている人いますけど、絶対止めた方がいいですよ。人間は話している言葉通りの人間になるという考え方もありますけど、わざわざ文章で書くと更に倍率ドンですよ。書いている文章は無意識に刷り込まれる効果もありますんで、ネットでネガティブな情報発信していると無意識に刷り込まれてリアルでも嫌な人間になります。
というか、仏陀が言うまでもなく、人間というのは何もしないとデフォルトで嫌な気分になるように設計されているんです。そこんところを自覚して、意識的に気分やら座視やらをを上げるように努力していないと人生どんどん不愉快な事ばかり増えていきますよ。だからそういう思考パターンをブログで鍛えておくのが良いんです。エントリーの結論では合理的でポジティブな結果に結びつける。これは認知行動療法みたいなもんです。何かあって現実は変えることはできないけど、感じ方は変えることができる。世の中理不尽な事ばっかりですけど、人間ができるのはそれをどう感じるか受け取り方を変える事ぐらいしかできません。自分が感じた感覚は世界の姿を正確に表してないので、不合理な内観に囚われるのは時間の無駄です。
今日は箴言で終える。
変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ。