僕がブログを書くのは自分のためです。
さて、何を書こう? 今日は計画休業で休みで一日中嫁さんと家でネット巡回してた。5月はほとんど休みばっかりで給料も1万ほど下がる。その代わり時間はたっぷりとあるので、庭の掃除とか本を読んだりとかそういう金を使わない事で時間を過ごそうかなとしている。
コロナ騒ぎはリモートワークとかで働いている人も多いかと思うけど、非正規の人はシフトを減らされたりとかで時間が余ってる人も多いだろう。僕もどうやらそんな感じみたいです。まぁ、時間があるんであれば勉強なりなにか用事なりを今のうちに済ませておいて、出来ないことを色々と片付けておこうと思う。積ん読になってた本とか色々とあるので、この5月の休みの間はNetflixをみたり本を読んだりして過ごそうかな。
ひとまず、時間もあるのでネット巡回も余裕が有る。普段は仕事のスキマ時間にさらっと読んでブクマを付ける程度なんだけど、今はそこから関連する情報なども調べて考えたりとかしている。今日はphaさんがこんな記事を書いていた。
もう20年くらい、ずっと文章を書いている。最初は趣味で、ウェブ上の日記に思ったことを書いたりしていただけで、読むのは知り合いくらいだったのだけど、いつの間にか顔も知らない人に読まれることが増えて、書くことでお金をもらうようにもなった。
だけど、文章を誰かに褒められたり、文章でお金をもらえたりするとうれしいのはうれしいけれど、それはあくまで二次的なものだという意識がある。
僕が文章を書くのは自分のためだ。自分が何かを考えたいから書くし、自分が何かに納得したいから書く。書かないといつまでも同じところを堂々巡りしてしまうけれど、書くと思考や人生が前に進むような気がする。
生物というものが食べ物を摂取して排泄するように、自分にとって何かを読んで何かを書くことは、生きることと一体化しているような感じがある。
いや、もっと大きい理由は、書くことに圧倒的な快楽があるからだ。どんな快楽よりも文章を書くことが一番楽しいと思っている。世界を自分なりのやり方で工夫して言語に落とし込むこと。そのやり方を考える過程や、納得のいくかたちで書きあがったときの達成感が、一番好きだ。
それに比べれば、褒められることなんかはどうでもいい。書き上がるまでの過程が一番好きなので、書き上がったあとはその文章に興味をなくしてしまう。
僕もネットをブラブラと散歩し続ける習慣はもう20年以上になるかと思うけど、熱心にネットに文章を放流しているのはここ3~4年ぐらいのことだなー。でもしばらくは毎日更新で1300日以上書き続けているからこの調子で毎日更新で10年ぐらい書いてみたいなと思ってるけど。僕が目標にしているのは糸井重里さんの今日のダーリンみたいな感じでほぼ毎日読み物を20年とかそれぐらい書き続けることだけど。
phaさんは文章を書くのは「文章を書くのは自分のため」と書いているけど、これは自分もそうなので非常に共感する。ネット上をブラブラすると、ブロガーというのは金儲けの為にPVを集めるために媚び媚びした文章を書くべきだみたいな事を書いてたりするけど、僕はそういうのにアレルギーがあるので、このブログでもしつこくグチグチ文句を言っている。
というか、プロブロガーがMacbook欲しさに土下座動画をあげたりしたときにそのあまりもの図々しさにうんざりしてブロガーを名乗るのやめちったい。今の僕は単なる雑文書きである。
ブログで毎日文章を書くのは自分のためである。書けば楽しいし、それで読まれたりして感想が貰えればさらに楽しい。PVなんぞは多ければ多いほど楽しいけど、別に僕は数字のために文章を書いている訳でもないので、とりあえずブログを書く前に毎日一度アクセス解析を覗く程度である。
なんか、ブログを書いてちやほやされたいみたいな感情は無いわけでもないけど、僕の場合は、毎日文章を書いて思ってる事を言語化して整理できるブログの効能のほうがありがたい。僕がブログを書き始めたのは統合失調症の陰性症状のリハビリの為だったので、毎日文章を書き続けることで本当に障害から立ち直って、社会復帰できてブログ経由で結婚もできた。どうも、ブログを書くというのは承認欲求満たす以外にも色々と良いことあったらしい。
自分の書いたブログは読み返せば面白いし、ブログ友達とかもネット上に何人かいる。別に人気ブログになって書籍化とかフォロワー何万人でワッショイワッショイされる事とかは無かったけど、僕は別にネットで有名人になったりするような器でも無かったってことでしょ。僕はひたすらネットの海を漂って、気になったことを調べたり気がついたことを書いたりしながら人生を十全に送りたい。