読書百遍意自ずから通ず
ふにょーんって感じ。色々と理由はあるけど、十二分に気合が入らない。なんか、今は生活のリズムをちゃんと取り戻すために休息を行う時期で、何かしら努力して全力疾走とかしてはならぬと自分に言い聞かせている。
ちらっとtwitterで見かけたけど、これはまぁ真理だなと思った。
辛いだろうけどこれだけ読んで
— ASOBEYA@乙かれ様でした (@13Rider) 2022年4月13日
いっそのこと沖縄で自分にあった仕事場を探すのも手
働かずになんとか生きるのも手 pic.twitter.com/c4O1jrQloO
こち亀の両さんの言ってることだけど、これは正論。如何にもこうにも自分の人生は好事魔多しと言いますか、ちょっと歩けば棒にぶつかってばかりで、思った通りに物事が運ぶことの方が少なかった。そのくせ、プライドは高いもんだから何かトラブルにぶち当たると生きるか死ぬかの展開になっちゃう。何かしらトラブルがあれば、まずは生き残る方を選択してそれからどうやって生きるのかを考えれば良いのである。最悪の事態というのは何度か経験しているし、そこからなんとか生き残ってきているサバイバーである。どうせこれから何か失敗をしたとしてもあれ以下まで落ち込むことというのはまずないだろうし、ゆっくりと場で起きてることを観察して、それからゆっくりと判断したら良い。
さて、何を書くんだったか? また意識高い系の人生訓ばかりを書いていると高登りして意識高ぶる虎になってしまう。バカと煙は高いところが好きというのもあるけど、大体、意識高ぶらせてるやつは足元がお留守である。今はきちんと足元を見てないと危ない。地味に生きることだけをしっかりと考えていれば良いのである。ちゃんと飯を食って、ちゃんと睡眠をして、適度に運動をする。そういうフィジカルの調子を整える事柄をしっかりとしていないとほんといろんな人を傷つける展開になりそうだし、今は何か成功するための考え方だとか、人生を極めるためにはなんちゃらみたいな情報からは距離を置いておく。
今はネットの情報を漁るのもそんなによろしくないのかなと思ってる。その割にはtwitterなんぞに出没して技術情報などを漁っているけど、結城先生のnoteで参考になりそうな話があった。
結城先生をご存知だろうか? プログラマの数学とか数学ガールなどの書籍を色々と書いてらっしゃるプログラマ業界の偉い人である。昔っから僕は結城先生の書いてあるテキストを色々と参考にしながら仕事のやり方などを学んでいるところがあり、今でもtwitterでたまに流れてくる結城先生のnotoを読んだりしている。
結城先生のnoteで今回見かけた情報は良い感じだなと思った。結城先生は読書を行う際に、新しい本を読むよりは一度読んだ本を読み返すことが多いそうだ。
僕もまぁ、行動パターンは似たようなところがある。僕の読書のやり方というのは、まずは適当に良さげな本を乱読しまくる。そして、その中から繰り返しの読書に耐えうる良書を見つけたのならば、その本を人生の中で必要そうなタイミングを見て何度も繰り返し読み返すのである。「読書百遍意自ずから通ず」という言葉もあるけども、本当の良書というのは一回読み通したぐらいでは内容を完璧に理解することができない。また、読書をおこなっている我々の人格や立場というのもその時々で変わっていくし、一度読んだ本でももう一度読むことで気が付く境地というものがあったりする。
読書猿さんも独学大全の中で似たようなことを書いていたけど、深い知識を得ようと思うのならばどのみち大量の読書は必要になる。しかし、それは底が浅い自己啓発本を何百冊と読むことではない。表面上の知識に振り回されてミーハーに流行りばっかりを追い求めているのなら、おんなじような内容の本ばかりを何冊も読まされることになる。深い知識を得るために必要な読書というのは、本当の良書を何度も深度を変えて繰り返し読み返すことである。
本を読むにしても、そこから本質的な情報を汲み上げるために読むためには精読が必要になってくる。マジで本格的にやるのであれば、一章ごとに要約を作ったりしたような読書メモを作って、自分なりの解釈を書いたノートを作ることになる。そこまで行かずとも、読んだ時に心に刺さった言葉などを抜き書きして、それと自分の感想を書いたメモを書き残しておけばそれでもしっかりとした血肉化した知識となる。
「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」というけども、書籍にも似たようなところがある。人生のいろんな場面で繰り返し読むことになる座右の書がある人は幸いである。自分の人生のいろんな場面において、指針となる思想があれば考え方もぶれにくくなる。僕も大概考え方はブレまくりの意識高めの虎なので、昔読んだ本でも再読しようと思う。