「逆ソクラテス」(伊坂幸太郎著)を読了した。
さっむいねー。沖縄でも相当寒くて朝起きるのがしんどくて仕方ない。なんとか今週も週末金曜日まで耐え切った。明日は特に予定もないことであるし、朝はちょっとだけ長寝をして疲れを癒そうと思う。
さて、今日は本を読了したので感想でも書こうかと思う。今回はAudibleで「逆ソクラテス」(伊坂幸太郎著)を読了した。
「逆ソクラテス」というのはタイトルでもすでに好奇心を惹かれる。ソクラテスの逆というのはなんなのか? そこんところのタイトルの謎に惹かれてついつい読み始めちゃった本である。
ネタバレではあるけど簡単に説明すると、逆ソクラテスの意味というのは「先生の固定化した価値観を生徒が壊す」的な意味であった。この本は小学生たちの群像劇の短編なのだけど、その作品の中のタイトルの一つが「逆ソクラテス」であるからこれが本書のタイトルになってる感じ。そこまで内容全体に対して強くフィットしたタイトルではなくて、この短編集のタイトルがそれぞれ「否定語 + 固有名詞」のようなタイトルになってるので、そのタイトルの一つというだけである。
それぞれ独立した短編ではあるけど、登場人物が若干他の作品にも関与してる感じであり、そこんところが伊坂幸太郎の作品だよなーという感じ。僕が伊坂作品で読んだことがあるのは「ゴールデンスランパー」であるとか「死神の精度」ぐらいなものなので、伊坂幸太郎というのはこんな感じの短編の連作で一つの世界観を描き出すのが好きな作家なのだなという印象がある。
こちらの「逆ソクラテス」も小学生たちが主人公で5つの短編が展開されていくという感じの本であるけど、良い意味でそれぞれの作品がそこまで重たくない感じ。描かれてる問題というのは学級崩壊であったりとかいじめなどであるんだけど、作風がさっぱりしているというか、そこまで人間のネチョネチョした暗いところが表現されてないという感じ。
どうも伊坂幸太郎という人はこういうドライな感じで人間を描くのが好きな作家なんじゃないかなと思う。他の作品でも大きな問題を扱いつつも、そこで登場してる人物たちの感情というのは極めて客観的にドライに描かれてる感じであり、そこから展開する物語も難しいテーマを振り回すのではなく、現実的な感じでサクサクとテンポよく物語が進んでいく。
しかし、作風がドライというだけであり底流に流れている人間心理というのは深いものがある。学級崩壊を描いた「非オプティマス」では、生徒たちにいじめられていた先生が授業参観の時に初めて本心を話すような感じなのだけど、小学生の子どもっぽい悪意に対して、子供が理解できないぐらいの大人の世界の悪意を、朗らかに、分からないように伝えることで報復する話と僕は読んだ。
僕がこんな感じでいろんな作家の本を読んだりするのは、僕自身も創作で小説を書いたりするのでその勉強のためでもあるのだけど、伊坂幸太郎氏のような感じで極めて軽い感じでテーマを取り扱っても良いのだなというのは気づきだった。どうにも僕は村上春樹氏のような、徹底的に無意識を掘り下げた上で巨大なテーマで物語を駆動させるという書き方に憧れがあるもので、あくまでイベントを中心にドライに物語を描き切るという伊坂氏の作風というのは新鮮な感じで読めた。
まぁ、でも「逆ソクラテス」でもそこまで扱ってる主題が軽いという訳ではない。物語全体では、小学生たちが素直に物事をみることで、道徳的によくないことをよくしていこうと行動したことがきっかけで、最終的には一人の人生が救われる。そこんところのシステマチックにイベントを積み上げていく感じが、なんかデジタルな質感であり多少、無機質であるなとも感じた。
あ、なんとなく僕自身もこの作品を読んで感じたことが見えてきたのだけど、よくできたシステムを見てるようであり、アルゴリズムに従って全体の物語が駆動していく感じ。ウェットな人間の感情も含めて計画されている感じで、滑らかに物語がスムーズに進み、引っかかるところがない。
読み終わった後にそれなりに感動するところもあったし、シナリオの完成度も高いなと感じるのだが、凸凹がないなと感じた。こりゃまぁ僕の感じた質感の話なのだけど、どうも全体的に人工物であるとか都会的な感じであり、登場人物たちと読んでいる僕との距離がずいぶんと遠いように感じた。
まぁ、物語を読むということはこういう感じる質感も含めて楽しむものなのであろうな。僕が感じてるこの疎外感も伊坂幸太郎氏の意図していたものであるかもしれない。そういうデジタルな雰囲気の物語を好む読者というのもたくさんいるのであろう。僕自身も創作者であるから、物語を描く上での考え方として参考になったなと思った。