超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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いつかは自分が納得できる文章を書いてみたいものである。

いつかは自分が納得できる文章を書いてみたいものである。


ういー、週末金曜日である。一応、資格勉強をしないとならないのであるけど、疲労で脳みそが使い物にならなくなってるので、適当にネットをふらふらしつつ気を抜いてるところだった。疲れてるけどブログは書かんとならんしな。今日はもう、脳みそを使わずに自動書記でダラダラと書き綴る。


最近の仕事としては、次のアプリ開発に向けて設計の業務を色々とやる段階に入ってる。いちおー、一つプロジェクトを7月に終わらせて、今は仕事は閑散期に入ってる。次のプロジェクトは一年ぐらいで既存のハイブリッドアプリをネイティブアプリに換装していくようなプロジェクトであるので、またガッツリとアプリ開発の仕事をやる感じである。


今んところ、仕事は暇であるので色々とアプリ開発の勉強のやり直しをやってる。最近僕はFlutterの開発ばっかりをやってるけど、調べながらだったらアプリを作ることはできるけど、何かしらのアーキテクチャを使って1から設計しながらアプリを開発するにはクンフーが足りねぇって感じ。ちょっとudemyの動画を参考にしつつ、Riverpodでmvvm+repositoryの構成のアプリ開発の手順を一つづつ確認しつつ写経を行ってる。


なんか、1から個人開発を行なっておいて、そこでなんやかんや自分向けのアプリ開発の勉強をしておこうかなーと思うんだけど、そこまで時間もない感じであるよな。やー、まぁ、日常生活の時間を捻出して一日30分ぐらいは何か趣味のことをやる時間があるんだけど、最近は小説執筆にお熱である。できればこの時間は何かしら個人開発で技術の勉強をした方が良いのかなーとも思うけど、僕は今は小説執筆をやりたいのよな。今週末は、外はコロナで外出するのも危ない感じであるし、巣篭もりをして家で資格勉強とか小説執筆などの自分用のあれこれをやっていくつもりである。


プログラミングの勉強も必要ではあるけど、僕は小説執筆の勉強も必要であるなと思うんよ。最近、小説にお熱であるからカクヨムとかpixivで他の人の小説を読んだりもするんだけど、上手い人はマジでガチンコで上手い作品を書いててびっくりする。キャラクターをしっかりと確立させた上で、それでいてシナリオもキャラクターの微妙な心情の動きを丁寧に描き切る作品とか惚れ惚れする。


ちと、自分も小説で描写できる範囲とか広げてみたいものであるし、小説修行も必要だな。僕はどちらかというとエンタメ作品を書いたりするのが得意なのだけど、きちっと一人称で個人の心情を余すところなく書き切った私小説みたいなもんにも憧れるのよ。どうにも自分の書く文章というのは、ワンパターンだし平板で奥行きがないなーと感じることがあるんです。色々と難しげな言葉を散りばめて、小賢しい感じの文章を書いてみることもできはするものの、本当に勉強してて頭がいい人の書く文章には敵わない。特に私小説とかで描き出すものというのは、その人の人生経験を通じた生き方そのものだったりするし、浅い人生経験で強い言葉を使ったとしても言葉のほうに位負けしてしまう。


僕は浅はかなことに、どう考えても人生を描くのには不向きなキャラクター小説の方で、生死観とか人生観らしきことを表現しようとやってしまうことがある。別に文章で表現されることというのは無限であるし、人生を語ろうとするキャラクター小説があったとしても良いのかなーとは思いはするが、足腰となる哲学がしっかりとしてないのにそういう深いところの話を書こうとするもんだから腰砕けでふらふらな文章しか書けないのである。


なんかさ、僕は片手間で心理学とか哲学の本を読んだりするけど、どれもこれも中途半端で、しっかりとした人生の基盤ができてないんじゃないかなー?って不安になったりするのよ。40年近くも人生生きてきてみると、ちっとは自分は人間として成熟できてるのかー?とか考えるんだけど、どう考えても自分は人間として未熟な青二才であるし、いまだに全然、惑いまくるわけですよ。いろんな人に助けられながらなんとか生きていいて、そこんところを割り切りつつも自分なりに何かをギブするような生き方をできるかなー?と思ったりもするんだけど、僕は全然、成熟した大人として生きることができていない。


僕にとっての文章修行というのは、そういう人間としての完成度を高めることとも地続きの話である。文章の中で表現する人間としての生き方なんかというのは、作者本人の人生の完成度と直結してるみたいな思想を持ってるわけですよ。しっかりと人生を生きて、生の実感を伴った生き方ができたのならば、優れた文章を書くことができるんじゃないかと思ってるんです。そういう意味ではこのブログで書いてる文章も文章修行の一環である。いつかは自分が納得できる文章を書いてみたいものだ。

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